日々の記録

アニメと読書の感想をメインにしたブログです。 ☆ゆるゆるっと更新中です☆


星の王子さま (集英社文庫)池澤夏樹さんが翻訳された、サンテグジュペリの「星の王子さま」を読み終えました。

2005年に岩波書店の翻訳権が切れて以来、この作品のいろいろな翻訳が本屋に並びました。それがちょっと気になりつつも、最初に岩波少年文庫で読んだ内藤濯さん翻訳に不満を感じていなかったので、その他の方々が翻訳された本はこれまで読まずに来ました。

でも、その1つに池澤夏樹さんが翻訳されたものがあると知って、これだけは読んでみたくなりました。内藤濯さんの翻訳を2〜3回くらいは読み返したはずなのですが、ストーリーの細かな部分はかなり忘れていました。(^^;
同じ物語を翻訳したから当たり前ですが、おぼろげならがに覚えていたストーリーは同じです。できれば、2人の翻訳の違いを比べてみたかったのですが、内藤濯さん翻訳の本をどこかにしまいなくしてしまい、それは果たせませんでした。

砂漠に不時着した飛行士が、そこで不思議な少年と出会う物語です。その少年の正体は、地球の外の小さな星からやって来た男の子です。原題を直訳すると「小さな王子さま」くらいの意味になるらしいですが、この物語に「星の王子さま」という素敵なタイトルをつけられた、内藤濯さんのセンスは素晴らしいと思います。

物語の前半は、かなり子供向けな感じですが、中盤あたりで地球にやって来るまでに王子さまが訪れた他の星の話や、後半の王子さまと狐とのやり取りには、人間社会の風刺や人生に対する哲学的な見方が織り込まれています。子供の頃に読んだ時はその面白さに気づけませんでしたが、手塚治虫さんの「火の鳥 望郷編」の中でこの本を登場人物が朗読する場面があったのをきっかけに、もう少し年を取ってから読み返して初めてその面白さに気づきました。

この池澤さんの翻訳は、1つ1つの言葉をとても丁寧に訳されている印象を持ちました。「あとがき」の中で、池澤さんがこの本の詩的な文体について触れられていますが、一度読んだだけではよくわからないけれど、何かが心の中に残り、時を置いてまた読み返したくなるこの作品の特徴を的確に指摘されていると思いました。
世界文学を読みほどく (新潮選書)池澤夏樹さんの「世界文学を読みほどく」を読み終えました。

この本は、2003年の9月に京都大学で行われた7日間に渡る講義をまとめたものです。扱っている作品は、スタンダールの「パルムの僧院」から始まり、トルストイの「アンナ・カレーニナ」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、メルヴィルの「白鯨」、ジョイスの「ユリシーズ」、マンの「魔の山」、フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」、トゥエインの「ハックルベリ・フィンの冒険」、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」、ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」、そして創作方法について語るということで自作の「静かな大地」を著者がどう考えて構成していったのかが語られています。

以前読んだ時は、書かれている順番に取り上げられた本を読んでいこうと思ったのですが、最初の「パルムの僧院」が完全に私の好みから外れたお話で^^;、いきなり挫折してしまいました。著者はこの本が大好きで、何度も読み返されているそうですが、私は主人公のファブリスがどうしても好きになれなかったからです。

トルストイの「アンナ・カレーニナ」は未読です。トルストイの作品は、いつかきちんと読んでみたいと思っているのですが、いまだに果たせていません。もっとも、著者によれば「アンナ・カレーニナ」はメロドラマらしいですが。(^^;

ドストエフスキーは、「罪と罰」は読みましたが、「カラマーゾフの兄弟」はまだ読んでいません。いつか読もうと思って購入して、本棚の比較的手に取りやすいところに置いてあるのですが、上・中・下の3分冊の分厚い背表紙を目にすると、かなり気合いを入れないと読み始められない感じです。(^^;

メルヴィルの「白鯨」は、自宅にあった世界文学全集で途中まで読んで挫折しました。今回、この本を読んだことでなぜ挫折してしまったかがわかりました。私はあくまで物語として読んでいたのですが、その内部は導入部と結末こそ物語だけれど、真ん中は鯨の百科事典のような作品なのだそうです。
本を読むにも、物語を読もうとする時と百科事典を読む時では、読み手の心構えがちがってきます。それに気づかず挑戦したために、私は途中で挫折してしまったのでした。次に読む時は、心構えを切り替えて挑んでみたいですね。

ジョイスの「ユリシーズ」、マンの「魔の山」、フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」、トゥエインの「ハックルベリ・フィンの冒険」も未読です。ジョイスの「ユリシーズ」は、「フィネガンズ・ウェイク」と共に気になる作品なのですが、とっても難解な作品らしいと知って、これまで手を出せずにいました。今回、この本を読んだことで作品の構造が少し見えたので、作品への抵抗感が少し薄れました。

マンは短編の「トニオ・クレーゲル」は読んだことがありますが、長編の「魔の山」や「ブッデンブローク家の人々」などには手を出せずにいます。この時代の作家は、ヘッセ、ツヴァイクなども好みなので、なかなかマンの作品にまで手が回らないので困ります。(^^;

フォークナーは「八月の光」を読んで以来、気になる作家の1人になりました。「アブサロム、アブサロム!」は一度挫折していますが、「八月の光」を読破したことで心理的な抵抗感が少し薄れました。でも、あの濃厚な作品はやはり読むのにかなり気合いがいりそうです。(^^;

トゥエインの「ハックルベリ・フィンの冒険」は、アニメとして放映されたものを見たことがあったような・・・。
でも私は、トゥエインの「トム・ソーヤー」や「ハックルベリ・フィン」はどうも苦手です。トムやハックに、読者や視聴者として共感できないからなのか、黒人問題が出てきたりする重さが苦手なのか、その理由はいまだによくわからないんですけど。

ガルシア=マルケスの「百年の孤独」は、先日読み終えたばかりなので、一番興味深く池澤さんの考えを読むことができました。さらに親切なことに、この本の巻末には「百年の孤独」を読む時の助けになる、池澤さんが作成された資料が収録されています。この資料は確かに分かりやすいですが、個人的には最初に読んだ時にこれを参照せず、家系図だけを頼りに「百年の孤独」を読破してよかったと思いました。何だかわからない混沌も、「百年の孤独」の魅力の1つになっていると思うからです。

最後のピンチョンの作品は、「ヴァインランド」しか読んだことがありません。「V.」、「重力の虹」、「メイスン&ディクスン」と共に気になり、この「競売ナンバー49の叫び」は文庫版を購入してあるのですが、いまだに読み始めることができずにいます。「ヴァインランド」と同じく、「競売ナンバー49の叫び」もピンチョンの作品としては読みやすい部類のようですが、安易に手を出すと簡単に撃墜されてしまいそうな気がしてしまいます。(^^;

今回この本を読んだことで、それぞれの作品の構造を一端を知ることができました。それを頼りに、この中の1つでも2つでも、読み始めることができたらいいなあと思います。
最後にこの本全体の感想ですが、池澤さんの各作品への解説はとてもわかりやすかったです。未読の作品の内容に触れている部分があるので、自分なりにその作品を読んでからこの本を読んだ方がいいのでは!?とも思いましたが、無防備な状態で作品に挑んで撃墜されるよりは、簡単な地図のようなものを手にして作品を読む方が、読破できる確率は高くなると思いました。

1つだけ残念だったのは、この本には池澤さんの講座の内容だけしか収録されていなかったことです。できれば、それを聞いた学生たちがどんな質問をして、それに池澤さんがどう答えたのかまで収録して欲しかったです。
スティル・ライフ (中公文庫)池澤夏樹さんの「スティル・ライフ」を再読しました。

初めて読んだ時も、その静かな世界が魅力的でしたが、再読してもその魅力は変わりませんでした。どこかファンタジックでありながら、その中に凄く深い哲学的なものが潜んでいて、読んでいてはっとさせられることが何度もありました。
前回読んだ時は、図書館で借りて読みましたが、この本はこれから先も何度も読み返すことになりそうな気がしたので、買って手元に置くことにしました。

一緒に収録されている「ヤー・チャイカ」も、不思議な作品です。父と娘だけで暮らしている親子が、それぞれの生活を語りつつ、その合間には娘の書いた恐竜と一緒に暮らしている作文が挿入されます。途中から父が出張の途中で出会ったロシア人もお話に加わり、彼は親子と仲良くなります。

日本で暮らして10年というロシア人は、日本語も達者ですが、国(この時代はまだソ連でした)への忠誠心は薄れていますが、故郷に帰りたいという願いは強くなっています。父が知っている軍事機密がらみの情報を、教えてくれないかと不穏な話も持ち出しますが、それも本気でそう考えているとは思えません。

物語は、不思議な雰囲気に包まれたまま、特に大きな事件が起きることもなく終わりますが、不思議と心に残る作品ですね。この作品を読んでいると、やっぱり榛野なな恵さんの「Papa told me」を連想しますね。

池澤さんは、このところ世界文学全集や日本文学全集の編纂に力を入れられています。それは、とても意義があることだと思いますが、この作品のような優れた作品を読むと、もっと池澤さん自身の作品も読んでみたいと思いました。
星に降る雪/修道院池澤夏樹さんの「星に降る雪/修道院」を読み終えました。池澤さんの小説を読むのは、「スティル・ライフ」以来だったと思います。

この本には短編の「星に降る雪」と中編の「修道院」の2作が収録されています。
「星に降る雪」は、神岡でニートリノの観測施設で働く田村の元に、亡くなった友人・新庄の彼女だった亜矢子が訪ねてきます。田村たちは、一緒に登山する仲間でした。しかし、あるとき雪崩に巻き込まれて、田村と亜矢子は助かりましたが、新庄だけは命を落としてしまいました。

それ以来、2人はそれまでと同じように生きていくことができなくなってしまったのでした。とはいえ、悲劇的な救いのない物語なのではなく、肉体や時、空間を超えた魂の共感が感じられる、優しいお話でした。

「修道院」は、休暇を利用してクレタ島に出かけた"私"が、そこである修道院を見つける物語です。そして"私"は、宿の老婆から戦争で破壊された修道院がどうして再生されたのかという長い物語を聞くことになるのでした。
お話のメインは、修道院を再生したミノスという男の数奇な運命の物語です。どこからともなく村へとやって来たミノスは、新しい修道院の側にある、戦後修復もされずに放置されてあった修道院を直したいと言い出しました。それを許されたミノスは、私費と自らの労力を投じて、古い修道院の側にある礼拝堂を修復し始めるのでした。

物語の語り手である老婆は、その時点では村の宿屋の娘でした。弟と共にミノスの手伝いをすることもあった2人は、自分のことは何も語らない不思議なミノスに惹かれていくのでした。まもなく礼拝堂が完成するという頃、ミノスを探して1人の美女がやって来ました。それをきっかけに、ミノスの身の上と、その贖罪のための行動が明らかになっていきます。

2作とも面白かったですが、「修道院」の方は日本人の作家が書いたとは思えない、異国的な雰囲気を感じました。著者名を知らずにこの物語を読んでいたら、外国人が書いたお話だと思ったかもしれません。パリやギリシアなど、海外での生活も長い池澤さんだからこそ、こういった作品が書けるんだろうなあと感心しました。
雷神帖―エッセー集成2 (エッセー集成 2)「風神帖」と対になる池澤夏樹さんのエッセー集、「雷神帖」を読み終えました。

この本では、「風神帖」とは少し趣向を変えて、コンピュータのこと、文学のこと、映画のこと、沖縄のこと、旅行のことなど、さまざまなテーマについて語られています。コンピュータについての話題では、昔読んだことがあるクリフォード・ストールの「インターネットはからっぽの洞窟」などにも言及されていて面白かったです。

そして、今回もさまざまな本について紹介されていました。この本を読んでいたら、フォークナー、ジョイス、レヴィ=ストロースの本が読んでみたくなってしまいました。フォークナーは、以前池澤さんが個人編纂された全集に含まれているものを読んでみようとしたことあるのですが、とっつきが悪くて挫折してしまいました。この機会にもう一度読んでみようかなあ。
ジョイスの「ユリシーズ」はずっと前から気にはなっているのですが、かなりとっつきにくい作品のようなので、これも保留したままになっています。

本の後半は、沖縄や島、旅についてのエッセーでした。その中では、写真について触れられていたものが一番興味深かったです。カメラで写真を撮るという行為に潜む意味、そして文章と写真との関わりについて考えさせられました。
風神帖―エッセー集成1 (エッセー集成 1)池澤夏樹さんのエッセイ集、「風神帖」を読み終えました。このエッセイ集は、「雷神帖」と対になる2冊で1セットのエッセイ集です。

久しぶりの池澤さんの本でしたが、読んでいて心地よかったです。この本では、アイヌに関する記述が多いような気がしました。まだ読んだことはありませんが、池澤さんが北海道を舞台に書いた小説「静かな大地」も、いつか読んでみたいと思いました。

この本で私の心に引っかかってきたのは、須賀敦子さんの著作に対する文章でした。河出文庫から須賀さんの全集が刊行されていることを知って、以前から気になっていたのですが、池澤さんの文章をきっかけにそれを読んでみたいと思うようになりました。

もう1人気になったのは、辻邦生さんに関する文章でした。辻さんは名前だけしか知らず、今までに作品を読んだことはありませんが、やはり池澤さんの文章を読んでいると、一度読んでみたい作家だなあと思いました。

そして気になる作品は、石牟礼道子さんの「苦海浄土」です。水俣病を扱った本だということは、以前から知っていたのですが、内容が重そうで今まで手を出すことができませんでした。この本は池澤夏樹さんが個人編纂された世界文学全集にも収録されていましたが、このエッセイでの文章を読んでいつか読んでみたい本になりました。
スティル・ライフ (中公文庫)池澤夏樹さんの「スティル・ライフ」を読み終えました。この本には、表題作の「スティル・ライフ」と「ヤー・チャイカ」の2本が収録されていました。

池澤さんの小説を読むのは初めてでしたが、その透明感のある内容に驚きました。「スティル・ライフ」は、主人公の青年とバイト先で出会った男性・佐々井とのちょっとしたやり取りを描いただけの作品なのですが、主人公や佐々井の静かな生き方が魅力的でした。リアリティのある物語というよりは、童話のような優しさが感じられる作品でした。

特に、佐々井の無駄な物はいっさい持たない生き方には憧れさえ感じました。彼の持ち物は登山用のリュックと両手に持った鞄しかありません。いつでもどこでも気の向いた時に気に入ったところに出かけていける気安さがうらやましいと思いました。
こんな何も持ってないような佐々井ですが、なぜかプロジェクターと何冊かのスライドフィルムを持っています。そのスライドに写されている風景は、なんということのない山や川の風景なのですが、主人公と2人でただそれを眺める場面に何か癒されるものを感じました。

そして「ヤー・チャイカ」は、父と娘の2人暮らしの家庭を描いた物語でした。父の文彦は、自衛隊に関わる仕事をしているエンジニアのようです。娘のカンナは、高校生で部活は体操をやっています。ある日、文彦は出張で東北へと出かけました。その帰り道で、車が故障したロシア人クーキンと出会いました。2人は同じように霧の中で迷子になったことがあり、それをきっかけに仲良くなりました。

クーキンはやがて、カンナにスケートを教えるようになりました。そして、メインとなる物語の合間に、カンナが恐竜を飼っているという空想的な作文が挿入されます。この部分を読んだ時、榛野なな恵さんの「Papa told me」を思い出しました。「Papa told me」と同じく、この作品も父娘とクーキンの日常を描きつつ、どこかファンタジックな心温まる作品でした。
異国の客 (集英社文庫)池澤夏樹さんの「異国の客」を読み終えました。この本は、先に読み終えた「セーヌの川辺」の前日談です。

エッセイは、池澤さんがフランスのフォンテーヌブローに移り住むことになったところから始まりました。「セーヌの川辺」でもそうでしたが、上品で落ち着いた文体と共にフォンテーヌブローでの生活、そこで考えたことなどが次々と語られていきます。

東日本大震災の後ということもあり、読みながらつい災害や原発について書かれている部分に目がとまりました。特に原発について書かれているところを読むと、今回の福島の原発事故は天災ではなく人災だったと思えました。事故の起きるずっと前に警鐘を鳴らし続けた人たちがいたのに、その声は原発政策には反映されませんでした。そして、たぶん多くの日本人は原発の脅威と日常の便利さを秤にかけた時、便利さを選んでしまったのだと感じました。

池澤さんの暮らしたフォンテーヌブローでは、日本では信じられないような不便と遭遇することもあります。しかし、それでも人々はそれを受け入れたり、独自の機知で切り抜けたりしながら暮らしています。
これまで日本では、とにかく便利なこと、快適なことが正義とされてきましたが、それだけで本当にいいのかを考え直すべきなのかもしれませんね。

この本を読んでいて驚いたのは、フランスでは政府の政策に反対して高校生がデモをすることもあるということでした。それを知った時、かって私の身近で助成の縮小に反対する署名に、"親"が狂奔している姿が思い浮かびました。自分たちのことであるはずなのに、当の生徒は知らぬ顔。
このあたりの感覚の違いが、その国の政治レベルに反映しているように思えてなりませんでした。
読書癖〈1〉池澤夏樹さんの「読書癖1」を読み終えました。

この本は、第一部は本にまつわる軽いエッセー、第二部は1冊の書物についてまとまった批評をしています。
本の発行が1990年ということで、たぶん書かれている内容は1980年代後半に書かれたのだと思います。そのせいか、内容的に少し古さを感じさせられるのが残念でした。

しかし、特にエッセイでは品がありウイットに富んだ文章で、とても気分よく読むことができました。ワープロ、CD、ゲームブック(!)の話題が出てくるあたりには時代を感じました。今だとパソコン、圧縮音源、携帯ゲーム機といった内容になるのでしょうね。

第二部の書評は、第一部と比べると少し堅めの文章でした。小説だけでなく、写真集、理科年表まで紹介されていましたが、残念ながらどうしてもこれは読みたいと思うような本には出会えませんでした。
池澤さんは既に個人編集の世界文学全集を完結させていますので、池澤さんのお勧めの本ということでは、そちらを読んでゆくのがいいのかもしれませんね。
ヴァインランド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第2集)池澤夏樹=個人編集の世界文学全集、第II集第11巻「ヴァインランド」を読み終えました。

トマス・ピンチョンの名前と作品は以前から知っていたのですが、難解というイメージが強くてこれまで手が出ませんでした。でも、池澤夏樹さんの世界文学全集の中にその作品の1つが収録されていると知って、挑戦してみることにしました。

この作品はピンチョンの作品としては取っつきやすい方らしいですが、最初はその奇妙な展開に振り回されました。
最初に登場したゾイド視点で読んでいけばいいのかと思いきや、突然物語の視点は彼の娘のプレーリィに変わったり、ゾイドの元妻でプレーリィの母親フレネシに変わったり、かと思えばフレネシの両親の過去に飛んだりと、自由奔放に飛び回ります。

おまけに途中から、日本で怪しげな忍術の修行をしたDLという女性まで登場します。彼女は修行のおかげで、自分の望む年数で相手を殺すことができる技まで使うことができます。このあたりの展開は、なんだか怪しげなカンフー映画を観ているみたいでした。(^^;

それに戸惑いながらも読み進めると、1960年代そして1980年代のアメリカの国家権力の恐ろしさが浮かび上がってきました。とはいえ、真っ正面からそれが語られるのではなく、ギャグや卑猥な展開、過去にアメリカで放映された数々のテレビ番組を引き合いに出しながら、混沌の中にそれが見えてくる感じです。

作品中でたびたびヤクが使われるのですが、あまりにサイケデリックなその内容は、読んでいて自分自身がドラッグに犯されてしまったかのような気分になりました。本を読んで、こんな体験ができるのは驚きでした。

ということで初ピンチョンだったわけですが、読み終わった感想は難解だけれど面白かったです。ちょうど新潮社からピンチョンの全集が刊行されているらしいのですが、そちらにも手を出してみたくなりました。
虹の彼方に ──池澤夏樹の同時代コラム池澤夏樹さんのコラム集、「虹の彼方に」を読み終えました。

この本は、池澤さんが2000年から2006年の間に月刊「現代」に発表されたコラムを中心に、まとめられた本です。
その間に池澤さんの居住地が沖縄、フォンテーヌブローと変わったこともあって、広い視野からの文章を読むことができました。

数多くのコラムの中で印象的だったのは、スマトラ沖地震のことを扱った「死を数で扱ってはいけない」というコラムでした。東日本大震災を経験した現在、ここに書かれている内容が説得力を持って感じられました。
内容の一部を抜粋すると・・・

1.われわれは自然の手のひらの上で暮らしている。地震や津波や噴火や台風の脅威を逃れるすべはない。
2.防災や予知や予報は大事だ。事前の努力で被害を減らすことができる。それでも、けっして、被害をゼロにはできない。
3.実際にことが起こったら、救援に最大限の力を投入しなければならない。二次災害を抑え込むために、物資と労力の最適配分をはかること。
4.救援はかっこいいが、主役はあくまで被災者である。共感すべき相手を間違えてはいけない。
5.この種の大きな災害では、個々の生活だけでなく、共同体全体が失われる。共に暮らしてきた人々がばらばらにならないような配慮が必要。
6.その意味で、目指すべきは復興ではなく復旧である。新しい村や町を作るのではなく、まずはもとの暮らしの場の再建をはかる。
7.災害を利用する動きに注意すること。災害は政治やビジネスに勢力拡大の機会を与える。

この中で特に、4つめの主役は被災者であるという項目。そして目指すべきは復興ではなく復旧だという主張にはとても共感できるものがありました。そして、災害を利用しての政治やビジネスの動きが最近感じられます。本当に被災者のための行動なのか、それともそれを利用した勢力拡大なのか、私たちは冷静にそれを見極めて人々を誘導しようとする勢力に踊らされないようにしなければと思います。
本は、これから (岩波新書)池澤夏樹さんが編集された「本は、これから」を読み終えました。

この本では、37人の人々がさまざまな立場からこれからの本についてのエッセイを書かれています。その中でも大きなテーマとなっているのは、iPadなどの登場で身近になった電子書籍についてでした。紙の本という形から、電子データという形に変わることによって、読書がどう変わってゆくのか考えさせられました。

私自身についていえば、紙の本を読むのは大好きなのでなくなってほしくないと思います。その一方で、iPadのような電子機器も大好きなので、それを使った新たな本が登場してくることに期待しています。結局TPOが大切なのかなあと思います。iPadのバッテリー持続時間がいかに長くなったとはいえ、電池が切れれば本としては使えません。一方、紙の本も際限なく買い集めれば部屋の中に置き場所がなくなってしまいます。どちらにも長所もあれば短所もあるわけで、どちらかだけがあればいいというものではありません。

この本を読んでいて新鮮だったのは、自分で本を製本するという楽しみがあることを知ったことでした。本というと商業出版物だけを考えてしまいますが、自分が書いた文章をひとまとめに綴ったものも立派な"本"なのだと気づかされました。

それから電子書籍の登場で、出版業界はこれから大きな変化が訪れそうですね。そんな中で期待してしまうのは、街の本屋さんのがんばりです。紙という実体がある本をただ並べておくのではなく、その店独自の個性や主張が行われるようになれば、本屋はもっと楽しいものになると思うからです。
叡智の断片池澤夏樹さんの「叡智の断片」を読み終えました。

この本は、さまざまなテーマで過去のいろいろな発言を引用してまとめられています。政治、結婚、愛国心などなど、さまざまなテーマについて、いろいろな人々が言ったウィットにあふれてユーモラスな言葉がたくさん引用されています。読んですぐには意味がわからないものもありましたが、少し考えたり、その後の池澤さんの説明を読んでなるほどと関心したり、笑ってしまったりしました。

1つのテーマごとのページ数は多くありませんし、内容が軽妙なので1つ読むとすぐに次のテーマが読みたくなります。全体的に軽い内容なので、肩が凝らずに気楽に読めるのもよかったです。
セーヌの川辺池澤夏樹さんの「セーヌの川辺」を読み終えました。

池澤夏樹さんといえば、アニメファンとしては声優の池澤春菜さんのお父さんだなあと考えてしまいます。その他では、池澤夏樹さんが個人編集された河出書房の世界文学全集(そういえば第1期の最初の5冊くらいを読んで挫折中です^^;)を読んだことがある程度で、池澤さん自身の書かれた本は読んだことがありませんでした。

そんな時、偶然この「セーヌの川辺」という本を目にして読んでみることにしました。この本は、池澤さんがフランスのフォンテーヌブローに住んでいた時に書かれたエッセイです。フランスと日本の文化的な違い、文学・美術・建築といろいろと話が広がって、とても楽しい本でした。

この本を読んでいて何度も感じたのは、本当に教養がある人というのは、池澤夏樹さんのような人のことを言うのだろうなあと思いました。そして教養があっても、ことさらそれを読者に押しつけるのではなく、柔らかな物腰でさらりと語られているところに品の良さを感じました。

内容で印象に残ったのは、フランスが景観を大切にしているというところです。テレビなどでヨーロッパを巡る番組を見ていると、町並みの美しさが素晴らしいのがうらやましくなります。日本とは違って、建築に際して環境に調和させることが義務づけられているからなのだそうですが、そこには美しい環境は公益だという考え方がありました。

石造りの建物が主流のヨーロッパと違い、木造建築が主流の日本では全く同じようにはできないでしょうが、美しい景観の中で暮らす幸せ、落ち着いた統一感のある町並みなど、学ぶべき点は多いような気がします。
巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)池澤夏樹=個人編集の世界文学全集、第I集第5巻「巨匠とマルガリータ」を読み終えました。

物語は、編集者のベルリオーズと詩人のイワンが不思議な外国人と出会うところから始まります。その外国人・ヴォランドは、ベルリオーズの死を予言します。そしてベルリオーズは、その予言通りに悲惨な死を遂げるのでした。
なぜヴォランドにはベルリオーズの未来がわかったのか!? それは何と、彼が人間ではなく、悪魔だったからなのでした。

作品のタイトルは、巨匠とマルガリータとなっていますが、この作品の主人公はヴォランドとその仲間たちといってもいいくらい彼らは好き放題に暴れ回ります。彼らの魔術のもたらした結果に、モスクワ中が大混乱に陥ります。
そして、主役のはずの巨匠はなかなか登場しません。(^^; なんと、巨匠が登場するのは、お話が始まって200ページほど経過してからでした。(笑)
さらに、マルガリータに至っては、本格的に活躍するのは第2部に入ってからでした。

この作品を読み終えての感想は、とにかく不思議な作品でした。第1部では、ヴォランドたち悪魔が人々を混乱させる様子が描かれます。そんな彼らの活躍は、まるでちょっとしたSF小説のようです。何しろ悪魔ですから、魔力を使ってどんな不可能も可能になってしまいます。ここまで無敵の登場人物も、ちょっと珍しいと思います。

そして、第2部ではマルガリータが悪魔のパーティーに参加する様子と、精神病院に収容された巨匠の救出が描かれました。そして何と、最終的に巨匠とマルガリータは、悪魔によって救われることになるのでした!

この物語がややこしいのは、モスクワを舞台にした物語と平行して、巨匠が書いたキリストとポンティウス・ピラトゥスの物語が挿入されます。キリストが磔刑にされた経緯、そしてそれを指示したポンティウス・ピラトゥスの苦悩が描かれます。

とにかく長く、何でもありの物語でしたので、読み終えるのに時間がかかりました。内容的には、ソ連時代の体制批判といった側面も感じられましたが、破天荒で幻想的な物語としても充分に楽しめる作品だと思います。
太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-4)太平洋の防波堤」「愛人」と読み進んできた世界文学全集の第1期第4巻ですが、このサガンの「悲しみよ こんにちは」でようやく読み終わることができました。

この作品の主人公セシルは、母を亡くして今は父親とその愛人と一緒に別荘にやって来ています。このちょっと特殊な家庭環境の中、セシルは海辺で知り合ったシリルという男の子に惹かれたりしながら、自由奔放に暮らしていました。
そこへ現れたのは、母親の友人であったアンヌです。アンヌとの再会を喜ぶセシルでしたが、アンヌが父親と結婚するという話を聞いて、その心が揺れ始めるのでした。

アンヌは、自由気ままなセシルやその父親とは違ったタイプの人間でした。理性的で常識的、そして知的なアンヌはセシルたちの生活を変えてゆこうとします。しかし、セシルはそれを恐れて、なんと父親とその愛人のよりを戻そうと画策するのでした。

この作品では、セシルのアンヌに対する感情が魅力的でした。アンヌはセシルにとって、憧れであると同時に窮屈な存在です。セシルの理性は、アンヌの正しさを理解しているのに、感情はアンヌを拒否します。そしてセシルは、アンヌを愛するのと同時に憎むようにもなるのでした。

驚きなのは、この主人公の複雑な感情を描いた時、作者のサガンはまだ18歳だったことです。自分自身のその年齢の頃を思い起こしてみると、サガンはなんと早熟な少女なんだろうと思いました。
太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-4)太平洋の防波堤」に続いて、同じくマルグリット・デュラスの「愛人 ラマン」を読み終えました。

この作品も「太平洋の防波堤」と似た部分を持っています。主人公の少女は、カンボジアの植民地に暮らしています。しかし、その土地は海から浸食されて、作物を育てることができないのでした。家族構成は、「太平洋の防波堤」と少し違って、母親と2人の兄、そして少女です。しかし、この少女には、どこか「太平洋の防波堤」のシュザンヌと同じものを感じました。

少女は、ある時出会った中国人の男性に体をまかせます。お金のために中国人の男性と寝ているようにも見えますが、少女は必要とあればいつでも男と別れることができると冷めた目を持ったまま、この関係を続けています。そんな少女に溺れているのは、むしろ中国人の男性の方でしょうか。

そんな少女と愛人との関係を中心に描きつつ、ストーリーは突然下の兄が戦死したところに飛んだり、母親が亡くなったところに飛んだり、上の兄のことに飛んだりと、縦横無尽に飛び回ります。さらには、少女と同じ高校に通う女の子への同性愛とも思える描写があったり、未来の少女の様子が描かれたりと、いっけんバラバラなピースが寄せ集められているようにも見えます。しかし、全体として読み終わってみると、何か心に残る物がある不思議な作品でした。
太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-4)池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集の第1期第4巻のうち、マルグリット・デュラスの「太平洋の防波堤」を読み終えました。
この第4巻には、その他に同じくデュラスの「愛人」とフランソワーズ・サガンの「悲しみよ こんにちは」が収録されているのですが、それぞれ個別に感想を書きたいと思います。

この「太平洋の防波堤」では、インドシナの植民地に暮らす母親と兄妹の3人家族が描かれました。母親は夫と共にインドシナに希望を持って移住してきましたが、現地で夫が亡くなり、酒場のピアニストをするなどして必死の思いでお金をためました。そのお金で、母親は海辺の土地を買いましたが、それは官吏に騙されていたのです。
その土地では、作物を植えて育てようとしても、ある時期が来ると海が浸食してきて、畑を台無しにしてしまうのです。母親はそれでも苦闘を続け、ついには浸食を防ぐために防波堤を築きます。しかし、その防波堤も蟹に穴を開けられて、崩壊してしまいました。

そんな夢も希望もない荒れ地に、息子のジョゼフと娘のシュザンヌは暮らしています。彼らはそれぞれにこの生活から抜け出すことを考えますが、なかなか状況を打破することができません。そんな時、シュザンヌに目をつけたムッシュウ・ジョーという人物が現れます。しかし、シュザンヌは彼にさんざん貢がせはしますが、結婚相手として彼を選ぶことはありませんでした。

そして、親子はムッシュウ・ジョーから手に入れたダイヤを売りさばくために、街へと出かけます。そこでジョゼフは、金持ちの婦人と知り合います。その婦人には、既に夫がいるにも関わらず、ジョゼフはその婦人との情事に夢中になり、ついには家から出て行くことになるのでした。

この作品を読んでいて一番印象に残ったのは、母親の土地ととの壮絶な戦いぶりでした。何も育てられない土地を、母親は必死で何とかしようとしますが、ことごとく希望は打ち砕かれます。そして、ついには母親は心を病んでゆくのでした。そして、ついに母親は命を落とします。その生涯が非常に壮絶なものだったことが、この作品を読み終わった後にも重く心に残りました。
存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集の第1期第3巻、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を読み終えました。

物語の軸となっているのは、トマーシュとテレザ、フランツとサビナという4人の男女の恋愛です。しかし、単なる恋愛小説ではなく、哲学的な内容を持った作品でした。おまけに、時系列に沿って物語が進行しないことも、作品の複雑さに拍車をかけています。物語の随所に作者が顔を覗かせて、物語の進行を妨げるような考察を始めたりもします。しかし、作者の語り口の上手さで、決して読みづらい小説にはなっていないのが凄いです。

物語の主な舞台となるのは、ソ連に牛耳られているチェコです。そこに生きる4人の男女は、否応なしに歴史的な状況に振り回されて行くことになります。とはいえ、そこに悲壮感は感じられず、登場人物たちはそれぞれの個性によって、淡々と運命の選択をしていっているように感じられました。

それほどページ数がある作品ではないのに、予想外に読むのに時間がかかったのは、この作品を読み進む中で本当に様々なことを考えさせられたからだと思います。1人の人間、1つの生命の儚さ。そして様々な思想や主義の裏側にある欺瞞などなど、この作品を読んでいて考えさせられたことがたくさんありました。
楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集の第1期第2巻、バルガス=リョサの「楽園への道」を読み終えました。

物語の主人公となるのは、画家のポール・ゴーギャンとその祖母フローラ・トリスタンです。この2人の最晩年の活動から死までを描きつつ、その中に回想という形でそれぞれの過去が物語られるという、ちょっと込み入った構成の物語です。しかし、2人の劇的な生涯の面白さもあり、最後まで退屈することなく読み終えることができました。

フローラ・トリスタンの目指す"楽園"は、労働組合による労働者の解放と、家庭の奴隷となっている女性の解放です。彼女は自分の考えを理解してもらうために、本を出版して世界各地でその思想を実現させるために講演や話し合いを行っていたのでした。彼女は最後の最後まで全力を尽くしますが、ついにその理想が達成されるのを見ることなく亡くなりました。

ポール・ゴーギャンは、西洋芸術からの解放者でした。彼は西欧での芸術のあり方に限界を感じて、タヒチの強烈な色彩と現地人の生き方に深く共鳴して、それらを素材とした作品を数多く生み出すのでした。そんな彼は、タヒチにも忍び寄っている西欧化の波とことごとく衝突します。そんな中で追い込まれながらも、ポールもまた自分の"楽園"を追及し続けたのでした。

この作品は、2人の生涯の面白さもありますが、それを語る作者が全知の神のごとき存在として、作中にしばしば顔を出す語り口も独特でよかったです。そこに作者が登場人物を見守っているかのような、優しい視線を感じることができました。
オン・ザ・ロード (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-1)池澤夏樹さんが個人編集した世界文学全集の第1期第1巻、ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」を読み終えました。

1940年代を舞台に、主人公のサル・パラダイスが、友人のディーンに惹かれてロードへと飛び出して、ニューヨークからサンフランシスコまで旅する様子が第1部では描かれました。わずか50ドルを元手に、ヒッチハイクしながら旅を続けるのですが、計画性はほとんどなく、出たとこ勝負にサルは旅を続けてゆきます。こんなので本当に大丈夫なのかと心配になるのですが、意外にも多少の苦労はするものの目的を達成してしまいます。この何者にもしばられない自由な空気が楽しい作品でした。

第2部では、サルは再び旅に出ます。今度はディーンが買った車での旅なのですが、ディーンの運転がとんでもなくメチャクチャ。おまけに、ドラッグの影響もあってディーンの言動は、何だか狂っているんじゃないかと思えるようです。挙げ句の果てに、サルは途中でディーンに捨てられて、再びニューヨークへと引き返すことになるのでした。

第3部は、再びサルはディーンと関わることになりました。この第3部の描写は、作品中一番ぶっ飛んでいます。ドラッグの影響で、サルもディーンもハイになったり、幻想の国をさまよったり。夢なのか現実なのかはっきりしない、まるで幻想の国ような描写が頻発して驚きました。

第4部では、今度はサルたちはメキシコに向かって旅をすることになりました。相変わらずディーンは、いい調子でしゃべりづめですし、途中で女は買うわ、マリファナは買うわで、例によってハチャメチャな旅が繰り広げられるのでした。

と、こんな感じで、とにかくデタラメなお話なのですが、読んでいるともの凄い開放感と自由を感じました。旅をするサルたちは、自分を縛るものがないのが魅力的なのかもしれませんね。何か欲しいものがあって、チャンスがあれば彼らはちゃっかりかっぱらいも平気でしますし、疲れるまでとことん突き進んで、疲れたら寝る。
周囲のちゃんと暮らしている人たちからしたら、はた迷惑な存在なのでしょうが、自分たちの衝動に忠実なサルたちの行動には、やはりどこか憧れを感じてしまいます。