日々の記録

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いよいよ秀吉が主催する、北野大茶会が始まりました。

奥州の伊達政宗も、その茶会のことが気になっているようです。しかし、秀吉の権威を世間に知らしめるために開かれた茶会に、奥州の覇者と呼ばれる政宗が軽々しく出かけることはできません。

秀吉と利休の間は、だんだんと溝が深まってきたようです。茶の湯を政治の道具として利用する秀吉と、侘びの世界を広めたいと考えている利休では、利害が一致するはずもないのでした。その茶会において、秀吉は利休に変わる茶頭を決めようと考えていました。しかし、利休以上の人物となるとなかなか人材がありません。

そんな時、織部は光成と共に丿貫に茶会に出席するように頼みに行きました。しかし丿貫は、これを頑なに断ります。それに怒った光成は、丿貫を斬ろうとするのでした。それを止めた織部は、丿貫の前で土下座して茶会に出席してくれるように懇願するのでした。そんな織部の気持ちをくんで、丿貫は茶会に出席することにしたのでした。

そして、いよいよ茶会が始まりました。それぞれが趣向を凝らして茶席をもうける中、織部はなんと木の上に茶室を作ったのでした。これが評判を呼んで、織部の茶席には多くの人が集まりました。しかし、太閤を上から見下ろすとは不敬だと、光成が乗り込んできました。それが原因で、織部の茶室は壊れて床が抜けてしまったのでした。
聚楽第に秀吉が築かせていた屋敷が完成しました。それと共に、織部たち家臣の屋敷もさまざまに趣向を凝らして完成したのでした。

九州を平定した秀吉は、利休の点てた茶を飲んでいました。それはなんと、周囲を松原に囲まれた屋外でした。その野趣あふれるセンスに、織部は驚かされることになるのでした。そんな中、秀吉は大茶会を開くと言い出しました。禁教令をしいたことで、秀吉は改めて日本の美の素晴らしさに気がついたようです。しかし、その話を聞く利休の心中はいかに!?

聚楽第には秀吉をはじめとした屋敷が建ち並びました。秀吉の屋敷は、これでもかというくらいに金づくしです。確かにこれは豪華ではあるものの、なんだか派手派手しすぎて落ち着きがありません。一方、これまで南蛮趣味の屋敷を作ってきた織田長益は、その屋敷を日本風に作り直させました。しかし、それはどこかちぐはぐで、これまた趣に欠けています。

さらに、利休の弟子・細川は師匠に忠実に黒塗りの屋敷を作り上げました。しかし、それは織部に言わせれば、1年中葬式をしているような辛気くささがあるようです。そんな織部の屋敷は、使い込まれた風情を織り込んだいっけんするとぼろ屋敷でした。町人たちは、その趣に驚いているようですが、利休はそれがお気に召さないようです。そして織部が期待した等伯のふすま絵が公開されました。それはなんと、テントウムシのように部屋中に玉模様ちりばめられたものでした。織部はその品のなさに激怒して等伯を切ろうとしますが、利休が取りなしてくれたおかげで事なきを得ました。

そんな中、秀吉が主催する大茶会が開かれようとしています。数々の数奇者が集まるであろうこの茶会、果たしてどんなものになるのでしょうか!?
九州へと出陣した織部は、楢柴を手に入れるために真田の間者の力を借りて古処山城へと忍び込みました。

忍び込んだものの、織部は楢柴を見つけ出すことができませんでした。やむなく引き上げようとした時、秋月の娘・竜子が命を絶とうとしているのを目撃しました。それを見た織部は、竜子を籠絡して人質として秀吉の元へと連れ帰ったのでした。娘を人質に取られ、秋月は秀吉に降伏することを決めました。

そして楢柴を引き渡しの場には、織部が赴きました。最初、その美しさに目を奪われた織部でしたが、すぐに蓋が偽物だということに気がつきました。織部はそれを秋月に指摘して、見事に楢柴を手に入れるという目的を果たしたのでした。

九州攻略は順調に進んでいます。そんな時、キリシタン大名の義弟・高山右近の元を織部は訪れました。そこに秀吉もやって来ました。秀吉は武装した南蛮船を売れと迫ります。しかし、キリシタンたちは船の売却に応じません。そればかりか、彼らは日本の娘たちを奴隷として売りさばこうとしていたのでした。
それを知って激高した秀吉は、最低限の南蛮との関わり以外を禁じるお触れを出したのでした。

キリシタン大名である高山右近は、それを知って悩みました。しかし、南蛮数奇者としての趣味を捨てきれず、秀吉の元から出奔して独自の道を進むことを決意したのでした。そんな右近に、織部は秀吉からかすめ取った楢柴の蓋を進呈したのでした。
家康が秀吉の元へと上洛しました。これで秀吉は、安心して九州出陣を実行することができます。

しかし、織部はこの早すぎる出陣にうろたえるのでした。屋敷の建設にお金をかけていた織部は、出陣に必要な兵を集める資金が足りません。そんな時、家康を大阪城内で案内することになった織部は、家康が秀吉の妻・おねに惹かれていることを知りました。そんな家康の気持ちを利用して、織部はまんまと兵を集めるのに必要な資金を調達することに成功したのでした。

そしていよいよ九州攻めが開始されました。織部は秋月が持っている楢柴を手に入れることで武功をあげようとします。しかし、秋月のいる城は守りが堅く、容易には攻められません。そんな時織部は、上田から真田のことを聞かされました。真田が優秀な間者を抱えていることを知った織部は、その力を利用しようとします。最初は織部の申し出を拒否した真田でしたが、手柄をあげるために必要な楢柴の目利きができる者がいません。
真田は、やむなく織部と手を組むことになりそうです。
自らの屋敷の建設に頭を悩ませる織部は、利休に勧められて山城へとやって来ました。そこで織部は、丿貫という数奇者と出会ったのでした。

この丿貫、なかなかのくせ者でした。お客をリラックスさせるために、屋敷の前に落とし穴を掘っていたりします。
最初は、そのみすぼらしい屋敷を軽蔑していた織部でしたが、次々と繰り出される丿貫のもてなしに驚きの連続だったのでした。そして丿貫は、不必要に華美なものが何1つないからこそシンプルな侘びが生まれるという自らの境地を明かすのでした。
この訪問によって、織部は何か得るところがあったようです。

その頃、堺では石田三成の元に商人たちが集まっていました。商人たちを前に、光成はこれからは武士と商人を区別すると言い放ちました。自分の侘び数奇を広めるために秀吉を利用しようとしている利休は、これを泰然と受け止めました。しかし、これまでも武士に好き勝手されて煮え湯を飲んできた宗二は、これを許すことができません。とうとう宗二は、利休とも決別して自らの理想を実現するために出奔してしまったのでした。
秀吉にとって、利休は油断のならない存在になってきました。そんな中秀吉は、信長が実行しようとしていた世界制覇を引き継ごうとするのでした。

織部と上田は、大阪城にある黄金の茶室に忍び込みました。それを見た織部は、その時間帯によって見せる姿を一変させる様子、そして必要ない時には収納しておくことができるという利便性に驚くのでした。

その頃、秀吉は次の目的を定めていました。秀吉の次の目的地は、福岡。それは信長が描いた朝鮮、中国へと手を伸ばす野望のコピーでした。自らの手で殺したとはいえ、秀吉にとって信長の存在はいまだに大きなものだったのでした。
その一方で、秀吉に帝を殺すことを進言した利休の存在が大きくなってゆくことが気になっていました。

徳川家康は、秀吉の妹・朝日を娶ることで懐柔されようとしていました。表面的には、家康は秀吉と和睦していますが、天下を狙う気持ちに変わりはないようです。

そんな天下の状況とは関係なく、織部は自らの数奇者の道を究めんとしています。秀吉たちの天下取りもいいですが、それ以上に自分の欲望に忠実に生きようとする織部の存在が気になります。
宗易が秀吉から、千利休という居士号を授けられるお話でした。

今回から、宗易が利休名乗ることになりました。以前、秀吉をそそのかして信長を暗殺させた利休でしたが、今度は天下に2人の権力者はいらないと、茶席の折に帝に毒を盛るように秀吉に吹き込みました。しかし秀吉は、とうとうお茶に毒を入れることができませんでした。
この作品世界では、もっとも恐るべきは自分の野望のためには帝殺しさえいとわない利休なのかもしれませんね。

大阪城に赴いた織部は、そこで荒木道糞と再会しました。そこで荒木は織部に、自分の余命が少ないことを伝えました。そして、信長に一族を滅ぼされた時、ただ1人生き延びた子供がいたことを知った荒木は、織部に自分の生き様をその子に伝えてくれるように頼むのでした。その代償として、荒木は好きな名物をくれると言いましたが、織部が1つの茶碗を選ぶと、それに未練が出てしまうのでした。織部と荒木、数奇者としての2人の大人げなさには笑ってしまうものがありますね。(^^;

今回ちょっと気になるのは、信長の姪・茶々の動きです。贅沢な暮らしをするために、自ら進んで秀吉の妾になりました。この時、秀吉がワインのようなものを茶々に飲ませたら、茶々の様子が変わりました。秀吉はいったい、何を茶々に飲ませたんでしょうね。(^^; その後、秀吉が手に縄を持っていたのも気になります。もしかして、秀吉ってSMとかが好きなんでしょうか!?(笑)
秀吉が朝廷から関白の位を賜ることになりました。そして左介もまた、位を賜ることになるのでした。

家康との和睦を成功させた左介は、約束通り秀吉から名物「初花」を借りることができました。それを千宗易たちに披露した左介でしたが、左介が作り上げた茶室「渋庵」は、宗易の作った茶室の真似にすぎないと指摘されてしまうのでした。よいものを単に真似するだけでなく、そこに独自性も必要とは数奇者の道もなかなか厳しいですね。

そして関白となった秀吉の元を訪れた左介は、秀吉から位を授かることになりました。そこで左介が選んだのは、以前に耳にしたオリーブという言葉を連想させる「織部」という位だったのでした。そしてこの時より、左介は古田左介ではなくなり、古田織部となったのでした。

そうして新たな領地をたまわった織部は、これまで以上に数奇者道を邁進することになりました。そんな織部の元に、上田という男が現れました。上田は、以前に織部が信長の弔い合戦の時に作った旗に魅了されていました。織部に付き合った上田は、織部と共に美濃を訪れ数奇者としての織部を目の当たりにするのでした。
左介は数奇者として、さらに磨きをかけています。そんな折、秀吉に呼び出された左介は、今現在戦っている家康への和睦の使者に立てと命じられるのでした。

左介と家康の間には、左介が家康をもてなした時の因縁があります。その時、家康は左介の用意した食事の贅沢ぶりに怒り出してしまいました。今度は、そんな左介がもてなされる側になったのです。数では劣るものの、使者の手前体面を保とうと、家康の家臣たちは大盤振る舞いで左介をもてなします。
しかし、そのもてなしは数々の数奇を見慣れた左介には、見られた物ではありませんでした。しかし、そんな無骨なもてなしの中にも、それなりのおもしろみを左介は見出したのでした。そんな左介の姿は、今までより少し大きくみえました。
明智が倒されて、時代は新しい方向へと動き始めました。

明智の手によって白く塗り替えられた安土城、それを宗易は天守閣を焼くように進言しました。それが受け入れられて、安土城の天守閣は焼かれたのでした。宗易は明智の美意識を認めつつも、最終的に世に残るのは自分の美意識の方だと確信しているようです。

その頃、信長殺害の真相を知る左介は秀吉の元を訪れました。真相を知る弥助を引き取りたいと申し出た左介に、秀吉は自分から信長を殺したことを打ち明けたのでした。それを知らされてなお、左介は秀吉に仕えることを受け入れるのでした。

そして宗易に左介は茶の席に招かれました。しかし、それはとても狭くて小さな小屋のようなところでした。しかし、そこには宗易が目指した美意識が凝縮されていたのでした。その美意識を宗易は、"渋い"と表しました。
宗易の美意識を理解した左介は、これまでの華美な数奇者から、シンプルな中に味わいのあるものを愛する数奇者へと変わっていったのでした。
いよいよ明智軍と羽柴軍の激突です。

羽柴軍のあまりにも早い行動。そこから明智は、自分が秀吉にはめられたことに気がつきました。明智軍の軍勢は、1万5千。対する秀吉軍は、4万。圧倒的な軍勢の差がありながらも、戦いはもう引けぬところまで来ていたのでした。
その頃、三河の徳川家康は明智軍に加勢することを決めましたが、それよりも早く戦いは開始されてしまったのでした。

戦いの場で武功をあげれば大大名と左介は気合いが入ります。ところが、戦いの最中に弥助に助けられた左介は、信長を殺したのは秀吉だということを知ってしまったのでした。それを知ってなお、左介は羽柴軍として戦い続けるしかありません。

今回驚いたのは、左介が出陣する前にすき焼きを食べる場面があったことでした。鋤の上で牛馬の肉を焼いた物を数奇者になぞらえてすき焼きと呼ぶのは粋ですね。これが本当かどうかはわかりませんが、こういうこともあったかもしれないな~という気持ちにはさせられました。
信長亡き後の天下の情勢を巡って、明智や羽柴それぞれが動き始めます。

左介は秀吉からの恩義もあり、義兄の中川清秀に羽柴軍に味方するよう説得しました。その知らせを持って秀吉のところを訪れた左介は、秀吉から大歓迎を受けるのでした。その頃、明智も天下の名物を送って徳川を味方につけようと工作していました。しかし、家康は名物では動かされず、まだしばらく様子見の構えです。

そんな明智は、安土城を信長のいた頃とは大幅に作り替えていました。黒い城郭だった安土城は、いつの間にか白く塗り替えられていたのでした。その姿を目にした宗易は、そこに自分とはまた違った明智の美意識を見るのでした。

こうして明智対羽柴の情勢が整いつつあります。信長の仇討ちを掲げる羽柴軍は、左介の発案でハートマークの中に信長の信の字を入れたマークを入れた旗を作り上げました。それによって、自分たちこそが信長の正当な後継者であり、信義はこちらにあることを世間に示そうとしたのでした。
信長の死によって、天下の情勢は大きく動き始めました。

本能寺の様子を見に行った左介は、長益と共に宝物を手に入れて帰還しました。その頃、明智は天下の武将たちに向けて、自分に味方するように働きかけていたのでした。細川家では忠興・藤孝ともに剃髪して、明智の味方にはつかない意思を示しました。上洛していた徳川家康もまた、三河へと引き返して情勢を窺う構えです。

明智は信長亡き後の安土城へと入城しました。しかし、各勢力へ出した使いの成果は思わしくありません。どの勢力も明智につくべきか、それとも羽柴か柴田につくべきかと態度を決めかねていたのでした。

そんな中、羽柴秀吉の軍勢は明智と対決する姿勢をみせたのでした。そのため、攻略中の毛利との戦いを終結させ、明智との戦いに備えます。そして左介と中川清秀の元にも明智と秀吉の2人から書状が届きました。どちらも自分に味方せよという内容でしたが、兄の清秀よりも多くの恩が秀吉にあることを知った左介は、明智ではなく秀吉につくことを決意したのでした。
ついに本能寺の変が起きました。歴史が動き始める中、左介が気にするのはやはり数々の宝物だったのでした。

早朝、本能寺は明智の軍勢に包囲されました。しかし、その前に信長の元へ忍んでいたのは、なんと秀吉でした。秀吉は信長を殺して、集めた宝物の数々を奪い取ったのでした。しかし信長もただでは死にません。なんと秀吉に切りつけられながらも、最後の最後に自らの血で秀吉にお茶を点ててみせたのでした。

こうして秀吉は、信長の元から数々の宝物を奪って遁走しました。そこへ明智の軍勢が襲いかかってきます。しかし、その時本能寺は秀吉の仕掛けた弾薬によって、火に包まれてしまったのでした。本能寺が燃え落ちる中、明智は信長の遺骸を発見することができないのでした。

その頃、中川清秀の元にいた左介は、不吉な予感を感じて本能寺へと向かいました。すると京都は明智の軍勢に包囲されていました。なんとかそれをくぐり抜けた左介は、本能寺の焼け跡を見て立ち尽くすのでした。本来であれば、ここで信長の遺骸を探すのが武者として一番大切なことでしょう。しかし左介の心は、信長と一緒に失われたかもしれない宝物から離れることはできなかったのでした。
ついに明智が動きました。本能寺の変の始まりです!

ゾウに乗って京にやって来た信長は、公家たちの前に数々の名物を並べてみせました。そして自分は日本を治めるだけでなく、中国にさえ渡って、いずれは天主となると宣言するのでした。そんな信長の迫力に、公家たちは完全に息をのむのでした。

しかし、この時信長はわずかな手兵しか連れていませんでした。そこを狙って、ついに明智光秀は自らの兵を動かす決意を固めたのでした。そんな明智の心も知らず、信長はあくまで自分の親族だけで国をまとめていくつもりでした。
もし、信長が親族以外の武人にも支配権を与えていれば、歴史は違ったものになっていたかもしれませんね。

京で名物が披露されることを知った左介は、それが気になってなりません。しかし、羽柴秀吉に力を貸す役目を果たすために、名物を見ることは果たせませんでした。しかし、それが左介の命を救うことになったのでした。

信長の死で、事態は風雲急を告げることになりそうです。
安土城で徳川家康の接待をすることになった左介。ここが数奇者の腕の見せ所とがんばりますが、質実剛健を好む家康を激怒させることになってしまったのでした。

家康や家康の家臣たちは、武士は質実剛健であることをモットーとしていました。そのため、身なりにもあまり構わず、食事の空腹を満たしてくれればよいと考えていたのでした。それを知らない左介は、この時とばかりに奇想を凝らした料理を振る舞います。その料理を見て、家康はとうとう怒ってしまったのでした。

信長の口入れで、その場はおさまりましたが、左介は明智と共に高松へと向かうように命じられたのでした。落ち込む左介でしたが、そんな左介に明智はいずれ報われる時もくると諭します。
その夜、明智は家康を茶席に招いていました。その場で家康は、家臣こそ大事なものだと力説します。そんな家康の言葉に明智も心動かされるものがあったようです。しかし明智は、主君があまり身なりにこだわらないと、家臣が恥をかくことになると家康をたしなめるのでした。

家康が帰った後、明智は信長から拝領した掛け軸を燃やしました。いよいよ明智の中で信長に反旗を翻す決意が固まったようです。時を同じくして、毛利攻めをしていた秀吉も本陣から離れました。
歴史は、いよいよ本能寺の変に向かって動き始めたようです。
武田攻めが終わった頃、明智は信長に対して謀反の心を抱くのでした。

高遠城へと乗り込んだ左介でしたが、仁科盛信と交渉する暇もなく、城外へと叩き出されてしまいました。頑丈な甲冑のおかげで打撲程度ですんだようですが、せっかくの手柄を立てるチャンスを左介は失ってしまったのでした。

こうして武田攻めが終わり、武功のあった家臣に報奨がもたらされました。左介はわずかな石高の加増があっただけでした。今回の武田攻めでは、滝川一益が大きな手柄をあげました。ところが、滝川が報奨として信長が持っている高価な茶壺を要求しました。しかし、それを信長は聞き入れず、関東の支配を任せるにとどまったのでした。

信長は近辺を長く仕えている家臣に任せて、大きな手柄があった者でも、以前からの家臣ではない者には遠方の土地を与えました。それは滝川一益だけでなく、明智光秀も同じことでした。明智は四国攻めで功績がありましたが、その地を離れて、出雲へ向かうように命じられたのです。

以前からの家臣を手駒のように扱う信長に、明智は反感を持ち始めました。布石として、前回秀吉が明智のところで語った、上に立つ者が信長ではなく明智だったらよかったという言葉も、明智の背中を押しています。
こうして物語は、本能寺の変へと向かっていくのでした。

そんな折、左介は安土城へやって来る徳川家康の接待を任されることになりました。数奇者として、左介はこの任務に大きな魅力を感じているようです。こうして左介の知らないところで、事態はどんどん動いているのでした。
織田の家臣として武功をあげるため、左介は決死の覚悟で武田攻めに挑むのでした。

安土城には、帝を招いた際の部屋として御幸の間が完成しました。それを見た左介は、信長の天下統一も間近いと痛感するのでした。左介が大大名になるために残された時間は多くありません。
そんな時、いよいよ武田攻めが開始されようとしていました。

その戦において、左介は使い番として必死の働きをみせました。偽の高価な品を用意して、それを餌に行く手を阻む武将を引き下がらせたのでした。しかし、高遠城には強敵・仁科盛信が控えています。ここを解放させれば、左介は大きな手柄をあげることができます。開戦の刻限が近づく中、高遠城へと向かった左介は、例によって高価な品で敵の心を動かそうとするのでした。

配下の武将の心は、左介の品で動きました。次はいよいよ仁科盛信ですが、なんと仁科の元へ左介が乗り込んだ途端に、城外へ蹴り出されてしまったのでした。
左介は因幡国・鳥取城を攻める羽柴勢に加わっていました。そこへ、キリシタン大名である高山右近がやって来ました。左介と右近は、同じ数奇者として意気投合しました。そして2人は、3つそろえれば天下を取ったのも同じと言われる三種の茶入について語り合うのでした。

その頃、秀吉の元には武者姿に身を変えた宗易がやって来ていました。宗易は、先日の秀吉に天下を取れという話に決断を迫るためにやって来ていたのでした。そのためには、信長に信頼されている明智を何とかせねばなりません。秀吉は明智と話し合うことを決意したのでした。

かくして鳥取城攻めは成功して、秀吉は信長から恩賞として多くの貴重品を手に入れました。その中の1つ、茶さじを携えて明智の元に向かった秀吉は、信長の血族ではない自分たちには将来はないこと、そしてもし仕えるのであれば、明智のような家臣思いの男に仕えたかったと打ち明けたのでした。
その時、秀吉は小刀で密かに脇腹をさして、明智の前で涙さえ流してみせたのでした。

そんな秀吉の言動に心を動かされた明智でしたが、秀吉が持ってきた茶さじを見て顔色が変わりました。その茶さじは、左介が秀吉の元に訪れた時、密かに別物とすり替えていたのです。秀吉はそれを本物だと信じて、明智に渡しましたが、明智はそれが偽物だと見抜きました。これが原因で、秀吉の一世一代の演技は明智に軽く受け取られてしまったのでした。

史実がどうなのかは知りませんが、将来の明智の謀反の裏には秀吉のこういった謀略も影響していたかもしれないと考えるのは興味深いですね。そして、自ら武勲を立てて報償を得られるだけの器量がない左介は、貴重品をくすねることしかできない小物ぶりが笑えました。
御馬揃えと宗易の野望が明らかになるお話でした。

各地の勢力を平らげた信長は、京都で御馬揃えを行いました。一世一代の晴れ舞台ということもあり、左介は宗易から縞模様の布を手に入れて奇抜な姿で人々の前に現れました。自分の姿を帝に示すことができて、左介は得意の絶頂です。
ところが、そこに信長の実弟・長益が哀れました。長益は、左介などよりも遥かに抜き出た出で立ちで現れて、人々の目を釘付けにしてみせたのでした。一瞬の勝利感に酔っていた左介は、失意を味わうことになったのでした。

その後、左介と秀吉は宗易の元を訪れました。宗易は秀吉と話があるということで、左介は宗易の弟子である山上宗二と席を共にすることになりました。ところが宗二は、自分の知識を鼻にかける鼻持ちならない人物でした。
とはいえ、左介の知らない品物にも通じていて、左介は宗二に教えを請うことになるのでした。

その頃、秀吉と宗易は茶の席を共にしていました。そこで宗易は、真っ黒い茶碗で秀吉にお茶を出しました。
その茶碗こそが、宗易が究極と考えるものでした。しかし、舶来のものの価値しか認めない信長では、宗易の茶碗の良さをわかってもらうことができません。そこで宗易は、自分の趣味が究極と認められるために、秀吉に天下を取れと囁くのでした。

これまで単なる数奇者の物語だと思ってこの作品を見てきましたが、数奇者が自分の理想を貫き通すために、政治さえも動かそうとする展開には驚かされました。
千宗易の茶席に招かれた左介でしたが、なんと千は左介が荒木を逃がして茶碗を手に入れたことを知っていたのでした。

完璧に調和された千の茶室。その中で、差し出された茶碗だけが場の雰囲気にそぐわないものでした。しかも、その茶碗は先日荒木を逃がした代わりに左介が手に入れた茶碗と同じものだったのです。あえてその茶碗を出した千の態度から、左介は全てを見抜かれていると観念して真実を千に話したのでした。

千は荒木から書状を受け取って、逃亡の折に織田の家臣に茶碗を託したことを千に伝えていたのでした。それを知った千は、かって荒木に譲った茶碗を取り戻そうと左介を招いたのでした。左介は千に茶碗を差し出すことにしました。その代わり、千に自分の茶の湯の師匠になってくれるよう頼むのでした。

その頃、信長はついに安土城を完成させていました。その豪華絢爛さに、左介は驚かされました。単なる要塞としての城ではなく、五重塔をかまえた住まいとしての美しさも共存させたものでした。そこで信長と対面した左介は、信長の野望を聞かされました。信長は日本を支配することだけを考えていたのではありませんでした。朝鮮、そして中国さえも自らの手中に収めることを願っていたのでした。
そんな信長の野望の大きさに、左介は武人としての心を奮い立たされるのでした。

その後、左介は明智光秀の宴席へと招かれました。そこで光秀の家臣は、信長の悪口を言い始めました。信長直参の家臣である左介は、それを聞いて黙っていられません。その場をおさめ、悪口を言った家臣に詫びさせたのは光秀でした。しかし、その後の茶席で光秀は信長から下賜された茶釜を使いませんでした。

一方、秀吉に呼び出された左介は、光秀のところで何かあったか尋ねられました。事実を話す左介に、秀吉は信長からいただいた茶碗で茶を出しました。秀吉と光秀のこの微妙な行動の違い、それが2人の複雑な心中を表現しているのが見事でした。
左介が千宗易と出会うお話でした。

毛利攻めに備えて、信長は巨大な船を作り上げました。その船を批判した商人を、あっさりと信長は斬って捨てました。誰もが信長におびえる中、意見を求められた千宗易は、足りないところがあると言い出しました。船体の色を黒くした方が見栄えがするというのです。信長はさっそくその意見を取り入れて、船を黒く塗るように指示したのでした。
これが左介と千宗易の出会いでした。

しばらくは戦もなく、左介は妻のおせんと共に平和な時を満喫していました。そこへおせんの兄であり、義理の兄になる中川清秀が訪れました。生粋の武人である中川に、左介はお茶を振る舞うのでした。
そんな中、中川の主君である荒木村重が反乱を起こしました。信長に命じられた左介は、義兄である中川を説得するために彼が立てこもる城まで出向きました。

中川の前に、左介は白い甲冑で現れました。あくまで武人としての信念を貫き通そうとする中川に、それならば自分も武人としての信念を通して、妻のおせんを斬ると左介は迫りました。この場でおせんを斬れば、もちろん左介とて無事ではすみません。この場で斬られることを覚悟しての白い甲冑だったのでした。

そんな左介の迫力に、中川は折れました。その結果、荒木は追い詰められることになったのでした。そして左介も、荒木を追います。荒木の行動を見抜いて追い詰めた左介でしたが、荒木の持ち物の中に貴重な茶碗を見つけた時、目の色が変わってしまいました。荒木は、自分を見逃せばその茶碗を左介に譲ると言います。迷いに迷った左介でしたが、数寄者としての本性には逆らえず、荒木を逃がしてしまったのでした。

しばらくして、左介は千の茶室に招かれました。そこで左介は衝撃を味わうことになりました。千の茶室は、1つの宇宙として完結していたのでした。この2人の出会いにより、これから物語がどう動くのか楽しみです。
新番組お試し視聴、第3弾です。戦国武将アニメには興味がないのですが、この作品は真下耕一さんが監督をされるということで視聴してみました。

時は戦国の時代。信長が天下統一を目指している頃でしょうか。信長の家臣の1人に、古田左介という者がいました。
この者、戦働きで名をあげようと思っているものの、それ以上に茶器などへの物欲が強いようです。そんな左介が、信長からある使命を言い渡されました。

信長に謀反を起こした松永久秀。その久秀の元に赴いて、平グモの茶釜をもらってこいというのです。もし左介がそれに成功すれば、謀反の件は許すというのです。早速信貴山城へと向かった左介は、久秀と面会することに成功しました。その目の前には、なんと平グモの茶釜が・・・。

左介は武で名をあげることと物欲の間で揺れ動くことになるのでした。そこへ秀吉が兵を率いて乗り込んできました。後がないことを悟った久秀は、なんと平グモの茶釜と共に自爆したのでした。
それに驚愕する左介でしたが、みれば平グモの茶釜の蓋が宙を飛んで行くではありませんか。それを見た左介は、我を忘れて必死で蓋をおいかけるのでした。

結局、左介は信長の前に平グモの茶釜を献上することができませんでした。しかし、数奇者の彼は、平グモの茶釜の残骸を信長の前へと届けるのでした。

なんだか今ひとつよくわからない作品ですが、武名と物欲の間で翻弄される左介に、とても人間くさいものを感じました。最後まで視聴するかはわかりませんが、もうしばらくは視聴を続けたいと思います。