日々の記録

アニメと読書の感想をメインにしたブログです。 ☆ゆるゆるっと更新中です☆


キマイラ13 堕天使変 (朝日ノベルズ)夢枕獏さんのキマイラ・シリーズ第13巻、「キマイラ 13 堕天使変」を読み終えました。

前巻が、久鬼麗一と九十九三蔵の過去話で今ひとつでしたが、今回はそれなりに面白かったです。
久鬼麗一のキマイラ化発動の経緯を描きつつ、トランシルヴァニア症候群に冒されいた黄奈志たちは、さらにその背後にいる者に操られていました。とはいえ、この事件は乱蔵が介入してきて、あっという間に解決しました。

そして次に、ルシフェル教団の成り立ちが語られました。これも唐突な気がしましたが、あまり話が長くならなくてよかったです。続いて、そんな教団に囚われている、菊池と美雪のことに話が移ります。菊池はグリフィンと戦った末に、海へと逃れようとします。しかしそれは、アレクサンドルの放った鬼頸によって阻止されました。

美雪が教団に囚われていることを九十九も知り、彼は何もできない自分に苦悩します。そんな九十九のところに、亜室健之に保護されながらも、美雪の危機を知ってそこから抜け出した大鳳吼が連絡してきました。着の身着のままで逃げ出した大鳳は、渋谷の路上生活者・よっちゃんを頼ってお金を借りて、円空山へと連絡してきたのです。

大鳳からの連絡を受けて、九十九は彼と共に美雪を取り戻すために戦う覚悟を決めました。大鳳に会う前に、九十九はもうず〜〜〜〜っと前に^^;雲斎から割ってみろと言われた多石を、ついに砕きました。ここに来るまでにかなり引っ張りましたが、結局最後は力尽くで割っちゃいました。(^^; 長年の懸念が晴れたのはうれしいですが、もう少し石を割るまでの過程をしっかり描いて欲しかった気もします。

龍王院弘から情報を得た九十九は、ようやく大鳳と再会しました。この2人が再会するまでにも、本当に長い時間がかかりましたね。2人は、無事に美雪をすく出すことができるのでしょうか!?

大鳳と九十九が再会して、ようやく物語の大風呂敷が閉じられそうな展開になってきました。初期の頃のキマイラ・シリーズと比べると、やはりパワーダウンは隠せませんが、物語にけじめを付けようとしていることは感じられました。

そうそう。今更ですが、押井守監督がキマイラをアニメ化するようですね。
この作品は小説だからこそ想像する余地があって面白いと思っているので、下手に映像化しない方がいいような気がします。(^^;
本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする〝読自〟の技術小飼弾さんが、自分の経験を元に読書することの意義を語っている本でした。

多くの生徒を対象にする学校での勉強よりも、1人でじっくり本を読む学習法が著者には向いていたという話から始まり、読書好きな人なら同意できる指摘が多い本でした。下手な読書術は持つなと言いつつ、著者の語っている内容が思いっきり読書術だったり^^;、同じ内容の繰り返しや、自画自賛が鼻につく部分もありましたが、全体としては面白かったです。

特に、立ち直る力を作るために本を読む。でも本自体は、読んだ人間を救ってくれないという指摘が心に残りました。
本を読むことで知恵をつけて、自分が困った時に自分を救える力をつけるのは、たしかに大切だと思いました。
Unix考古学 Truth of the LegendUnixの歴史について語られている本です。

タイトルに何となく覚えがあると思ったら、今はなき「UNIX USER」に連載されていたものに、新たに手を加えて出版された本でした。この手のコンピュータの歴史にまつわる話は、読んでいてワクワクします。(^^)

UnixとMulticsとの関わりから始まり、当時のAT&Tの事情によるソースコードの配布状況、ユーザーコミュニティの形成、BSDの始まりとARPANETの歴史、ライセンスをめぐる泥沼を、各所から集めた資料を元に著者の推察も交えてUnixの歴史が語られています。

今とは違う、ほのぼのとした雰囲気もありつつ、オーブンソースや強力なコミュニティなど、今なおその歴史の上に築かれていることを再認識させられました。

私自身がどうしてUNIXに興味を持たかは忘れてしまいましたが、インターネットが普及する以前に、限られた書籍の情報を手がかりに、UNIXについて知れば知るほど"シンプルで美しい"と感じたことが、UNIXについてももっと知りたい、自宅でUNIXを使いたいにつながっていきました。

今はMacをメインに使っていますが、ターミナルは常に使っていますし、ちょっとした操作はコマンドラインで済ませることが多いです。プログラムを書くのも、いまだにvimとかemacsですしね。(^^;

そのベースとなっている知識は、20年以上前に覚えたものですが、それが今でも十分役に立つ。変化の激しいコンピュータの世界で、これは凄いことじゃないかと思います。
文盲 アゴタ・クリストフ自伝アゴタ・クリストフさんの自伝的な作品、「文盲」を読み終えました。

ハンガリーの村に生まれた著者は、自分の意志によってではなく、外部から強制される形でドイツ語、ロシア語、フランス語を学ばなければならない状況に置かれました。自伝とはいいながらも、その時々の思いが著者自身の小説のような文体で語られていきます。

幼い頃から、本を読むことが好き、文章を書くことが好きだったのに、何度も言葉を奪われる状況が淡々と語られています。抑えられた文体だからこそ伝わってくる、言語を奪われた著者の苦しみと、生きるために新しい言語を覚えざるを得ない状況。そしてその苦しみは、当事者でなければわからないものだということ。それがとても深く心に残りました。

また「悪童日記」で描かれたいくつかのエピソードは、実際に著者とその兄との間で実際に行われたことだったのも驚きでした。90ページほどの作品ですが、読み終えた後に深く心に残るものがありました。
Kindle Unlimitedを使い始めたので、久々にC++がらみの本を読んでみました。プログラミング学習者向けのサイトを運営する著者が、Cは知っているけどC++は使ってない人を対象に書いた電子書籍です。

CとC++の基本的な違いから始まり、C++を使うとCよりも安全で簡潔なコードが書けますよという内容です。Cの良さを活かしつつ、C++の便利なところは積極的に使ってみましょうというスタンスなので、C++の全ての機能について解説されているわけではありません。

そのおかげで、C++の迷宮に迷い込むことなく^^;、なんとか最後まで読み終えました。著者の主張には一理あると思いつつも、それじゃあ現実的に自分が普段プログラムを書くときにC++を使うかと聞かれたら、たぶん使わないと答えると思います。

この本を読んだおかげで、自分はCのシンプルさが好きなんだと改めて気づきました。その代償として、ちょっと面倒だったり、安全なコードを書くのに注意が必要だったりしますが、そういう部分も含めて自分はCが好きなんだと気づきました。

とはいえ、オブジェクト指向言語に興味がないわけではありません。実際、ちょっとした処理にRubyを使うことで、それなりに勉強はしています。その時に思ったのは、最初からオブジェクト指向を前提として設計された言語を使う方が、Cに後付けでオブジェクト指向を加えたC++を使うよりも、素直にその考え方になじむことができる気がしました。

私が利用する範囲では、基本的な部分をRubyなどで作り、処理速度が必要になる部分だけCを使う方が、使い勝手が良さそうな気もしました。というわけで、C++の迷宮に踏み込みかけて、改めてCが好きだと気づいたのでした。(^^;
老人と海 (光文社古典新訳文庫)ヘミングウェイのノーベル賞受賞作、「老人と海」を読み終えました。今回読んだのは、ジュンパ・ラヒリで作品で馴染みがある、小川高義さんの翻訳されたものでした。

120ページ程の、取っつきやすい作品です。ストーリーも、不良続きの老漁師が、ようやく大物カジキと巡り会い、3日間に渡る格闘を繰り広げたあげく、港に帰る途中で鮫に襲われ、せっかくのカジキは骨だけになってしまうという、とてもシンプルなものです。

しかし、ひとたび読み始めたら、老漁師サンチャゴと彼を慕う少年マノーリンとの関係、カジキと格闘しながら独り言をつぶやき続けるサンチャゴの圧倒的な存在感。時にはサンチャゴは釣り上げようとしているカジキに話しかけたりもしますが、その内容が狂気じみているような、それでいて深い哲学的な問題を語っているようにも思える不思議さ。

そして一緒に漁に出ていないのに、サンチャゴが何度も少年はいないのだと何度も思い出すのも、サンチャゴのマノーリンに対する愛情が感じられました。そして漁に出かける前後の、サンチャゴへのマノーリンの献身ぶりからは、彼がサンチャゴを英雄として尊敬していることが伝わってきます。

ヘミングウェイの作品を読むのはこれが初めてでしたが、老いながらも孤独に闘い続けるサンチャゴの姿には著者自身の姿が重なっているように思いました。どんな強風や荒波にも崩れない、厳然とした巨大岩のような人間が描かれた物語だと思いました。またこの作品では、直接言葉として書かれていないのに、多くのことが伝わってくることにも驚かされました。
一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―シェリー・タークルさんの「一緒にいてもスマホ」を読み終えました。タイトルだけ見ると、スマホを否定するような本に見えますが、原題を見ると「会話を取り戻そう」という内容の本ですね。

作中に「森の生活」で有名なソローの言葉が引用されていたりするので、先に「森の生活」を読んでいると著者の考えを理解する助けになると思います。全編通して語られているのは、顔を合わせて会話することの大切さです。オンラインでのコミュニケーションが普及したことから、親子や上司と部下、顧客と会社の間で直接顔を合わせることなく物事が進むことも珍しくなくなりました。

その結果、子供たちの共感能力や実際に顔を合わせて会話する力が損なわれていると著者は指摘します。スマホなどを使った文章でのやり取りでは、言葉の微妙なニュアンスやそれを伝えた相手の表情などは伝わりません。それがトラブルの原因となったり、相手とのつながりの不確かさにつながっていることを著者は繰り返し主張しています。

全6章の大作ですが、第2章から第5章の途中までは、その実例をさまざまなケースとして紹介しています。多様な事例を知ることに意味はあると思いますが、すべてに目を通すのはたいへんだと思われる方は、途中をとばして第5章の「時の刻む一瞬」からを読んでもいいと思いました。

その中の、スマホの持つ予想以上の影響力を忘れない、自分自身との対話に時間をかける、創造性と静かな時間との関係、邪魔されずに会話できる場所の大切さ、一度に複数のことをせず1つのことに集中できる時間の必要性、自分と異なる意見を持つ人と会話する、便利なツールが必ずしも適切なツールとは限らない、ソーシャルメディアを完全に否定するのではなく関わり方を見直してみる必要性、などが参考になりました。

最後にこの本を読んで一番心に残ったのは、介護などにロボットが導入されるのはそれがベストだからではなく、人手不足などに対応するために、ロボットに頼らざるをえないという視点でした。そして、衰えた身体機能を補助する部分では、それは上手く機能するかもしれませんが、話し相手になって感情を理解したり共感したりできるのは、同じ人間同士だからこそと思えました。
ゲームウォーズ(下) (SB文庫)「ゲームウォーズ」の下巻を読み終えました。

ハリデーの残した遺産の最初の鍵を手に入れたのは、ウェイドでした。しかし2つめの鍵では、ウェイドは恋するアルテミスに先を越されることになってしまいました。それに続くのは、貴重なアイテムを駆使したシクサーズでした。焦るウェイドでしたが、なかなか謎解きは進みません。

そんな彼にアドバイスしてくれたのは、最初の鍵を見つけた時に貸しがあったエイチでした。そのおかげで、ウェイドも第2の謎を解くことが出来ました。しかし、それ以上にシクサーズは先行していました。なんと3つめの最後の鍵を最初に見つけたのは、シクサーズだったのです。

その上、シクサーズは莫大な財力と人材を駆使して、3つめの鍵となる惑星を封鎖してしまいました。その封鎖は完璧で、ガンターたちが何度挑んでも、その防御を突破することができません。そんな中、ウェイドは思い切った作戦で、シクサーズ内部の情報を手にすることができました。

これ以上書くと、これからこの本を読もうとしている人の興味を削いでしまうので、この続きは興味を持った方がご自分で確認されるのがいいと思います。

上下巻を通しての感想は、近未来を舞台にしながらも作品の重要なキーワードとなるのが80年代のサブカルチャーということもあり、大人が読むと懐かしさを感じながら読むことができる作品だと思いました。下巻の展開は、ちょっと都合が良すぎると思えるところもありましたが、全体的にはとても満足できる内容の作品でした。(^^)
人生にゆとりを生み出す 知の整理術同じ著者の「しないことリスト」が興味深かったので、最新作の「人生にゆとりを生み出す 知の整理術」も読んでみました。

読み始めて最初に目にとまったのは、マザー・テレサの言葉の引用でした。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」

普段のちょっとした考えが、将来の自分の運命にまでつながっている。ある意味当たり前のことですが、普段、それを深く意識することはないと思います。これを読んで、よく考えることが、よく生きることにつながるんだなあと、しみじみと思いました。

そして知識のインプット、そしてそのアウトプット、モチベーションの維持について著者が実践していることが紹介されます。その中で参考になったのは、アウトプットについてでした。著者はアウトプットを、軽いものと重いものに分けて考えています。

その中でも、アウトプットする時の工程をきちんと分けるというのが、自分にとって大きな気づきでした。
最初に徹底的にアイディアを出す、次に構成を考える、最後にそれを実装するという流れです。私が何かする場合、最初のアイディア出しの作業時間が少ないため、先の工程に入ってからアイディアを追加したりしていました。時にはほぼ実装が終わりかけた時、アイディアの追加を思いつくこともあり、結果的にそれが作業時間の延長につながっていたことに気づきました。

また、最初から完璧なものを作ろうとせず、最初は65%くらいを目指して1つの形に仕上げて、後からそれを何度も見直すことで完成度を高めていくことの重要性も再認識しました。最初に大ざっぱでも全体を作り上げないと、全体が見えませんので、後の修正を前提として作業を進めることは大切ですね。

それに合わせて、スケジュールも前期で全体を作り上げ、中期でそれを見直し、後期で磨きをかける、という流れで進めることができて、自分が今どのフェーズにいるのか確認できていいなあと思いました。

他にも紹介されている手法がありましたが、ポモドーロテクニックなど別のライフハック系の本ですでに知っていることでしたので、上記のアウトプットの手法が個人的には一番有益でした。(^^)
ゲームウォーズ(上) (SB文庫)この春に公開される映画「レディ・プレイヤー1」の原作の上巻です。

物語の舞台は、2040年代の近未来です。この時代、世界はOASIS(オアシス)と呼ばれる仮想現実ネットワークでつながっています。仮想とはいえ、日常的な活動の多くを人々はOASISで満たすことができます。その一方で、世界は深刻なエネルギー危機に見舞われていて、貧富の差も拡大していました。

両親を早くに亡くし、叔母に引き取られたウェイドは現実の世界では、機械いじりは得意だけれど、周囲とのコミュニケーションが苦手なギークでした。そんなウェイドも、OASISという仮想世界では現実以上にうまく過ごすことができます。

ウェイドはある出来事をきっかけに、無名の少年から世界中から注目される存在になりました。OASISの創設者であるジェームズ・ハリデーは、その死と共に世界中に向けた遺書を残しました。そこで彼は、膨大な資産を彼が仕掛けたゲームの謎を解き明かした者に全て渡すと宣言したのです。

それをきっかけに、全世界のOASISプレーヤーがハリデーの遺産探しに熱中することになりました。しかし、謎を解く手がかりは、ハリデーが好きだった80年代のサブカルチャーの中にあり、誰も簡単に見つけることができません。謎を解くためには、3つの鍵が必要になるのですが、ウェイドがその最初の鍵を見つけた初めての人物となったのです。

ウェイド以外にも、ガンターと呼ばれるプレーヤーが遺産を求めて知識の収集や試行錯誤を繰り返しています。またガンターからは徹底的に嫌われている、IOIというOASISにインフラを提供する大企業にもシクサーズと呼ばれる遺産探し専門のチームが存在します。

ウェイドはそんなライバルたちを出し抜いて、一番最初に第1の謎を解き明かしたのです。それは彼を一躍有名にしました。しかし同時に、それはウェイドがライバルたちから狙われる存在になったということでもありました。シクサーズは、ウェイドを自分たちの陣営に引き込もうとします。しかし、それが不可能だとわかると、ウェイドを抹殺しようとします。

またウェイドは、謎解きの一方でずっと憧れの存在だったアルテミスと呼ばれる女の子とも知り合いました。ウェイドは本気で彼女を愛するようになりますが、今のところそれは彼の一方通行です。

上巻では、どん底の暮らしをしていたウェイドが、注目を浴びる存在となり危険と恋に揺れながらも、ハリデーの遺産を探し求めていく様子が描かれました。上巻では、第2と第3の謎は解き明かされていません。下巻でこのゲームが、どんな結末を迎えるのか気になります。

この本を読んでいて気づいたのは、80年代のパソコン黎明期のゲームやテレビ番組、音楽がキーワードとして次々と登場することです。私はその全てを直接知っているわけではありませんが、名前くらいは目にしたことがあるキーワードも多くて、これも本を読む楽しみの1つになっていると思いました。(^^)
ふたつの人生 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)ウィリアム・トレヴァーの「ふたつの人生」を読み終えました。この本には、2人の女性を主人公とした物語が収録されています。

一作目は「ツルゲーネフを読む声」という作品です。これはメアリー・ルイーズという女性の、痛ましい半生が描かれて作品です。物語は、現在と過去が交互に語られていきます。最初はそのつながりがはっきり見えませんが、カメラのピントが合うように、次第にそれがメアリー・ルイーズの異なる時間を描いていることがわかってきます。

貧しい農家の次女として生まれたメアリー・ルイーズは、街に出て働くことを夢見ていました。しかし、彼女にそのチャンスは訪れません。ところが、ある日彼女は、街の有力な服地商人であるエルマーという中年男性に見初められます。最初はそれに戸惑いながらも、彼女は最終的にエルマーとの結婚を承諾します。

しかし2人の結婚生活は、うまくいきませんでした。エルマーは、彼女と性交渉することもなく、次第にお酒に溺れていきます。また、エルマーの2人の姉、マティルダとローズは、元々この結婚に反対だったこともあり、何かにつけてメアリー・ルイーズを非難します。

そんな中、彼女の救いとなったのは、幼い頃に恋心を抱いたこともあるいとこのロバートでした。彼は病弱で、学校に通い続けることもできませんでしたが、本を読むことで自らの世界を広げていました。

ある日、ロバートの元を訪れた彼女は、彼も幼い時から彼女を好きだったことを知りました。2人がようやくお互いの気持ちを知った夜、ロバートは心臓発作で亡くなってしまいました。

それを契機に、メアリー・ルイーズの言動もおかしくなっていきます。そして彼女は、ロバートの遺品を手に、精神病患者を収容する施設で暮らすことになったのです。

やがて時は流れ、精神病の患者も出来る限り自宅で暮らすべきという時代が訪れます。
その頃には、商人としては没落していたエルマーでしたが、彼女を引き取ることに同意します。でもその時には既に、彼女の心はロバートが読んでくれたツルゲーネフの小説を通して、ロバートの心と結びついていたのでした。

訳者の解説を読むと、この作品のバックグラウンドとして、それまでアイルランドの支配階級だったプロテスタントが衰退して、カトリックが力を増していく時代背景が重ね合わされているそうです。
しかし、個人的には、そういったバックグラウンド抜きでも十分に楽しめる、読みごたえのある作品だと思いました。

二作目の「ウンブリアのわたしの家」は、ミセス・デラハンティが巻き込まれた列車爆発事件をきっかけに、その犠牲者たちの間に不思議なつながりが生まれる様子が描かれた作品です。

今ではロマンス小説家として知られるミセス・デラハンティですが、その生い立ちは恵まれたものではありませんでした。旅芸人の両親は、生まれたばかりの彼女を、子供を欲しがっていた人に売り渡してしまいました。成長したミセス・デラハンティはその事実を知ります。その後も波瀾万丈な前半生を送ったミセス・デラハンティですが、今ではイタリアのウンブリア地方の屋敷を買い取り、近所のホテルに空きがない時に観光客を宿泊させたりして暮らしています。

そんなミセス・デラハンティは、列車で買い物に出かけた時に爆発事件の被害者になってしまいました。同じ客車に乗っていた乗客も数多く亡くなりましたが、奇跡的に生き延びた者がミセス・デラハンティの他にも3人いました。

1人は、イギリス人の元将軍で、娘とその婿と一緒に旅をしていました。ドイツ人の青年は、恋人と一緒に旅をしていました。アメリカ人の女の子は、家族と一緒に旅をしていて彼女だけが生き残りました。

爆発事件の真相は不明のまま、時が流れていきます。そんな中、ある程度ケガが回復したミセス・デラハンティは、生き延びた人たちを自分の屋敷に招いて、そこで一緒に暮らすことを思いつきました。こうして、爆発事件の犠牲者というつながりのある人たちが、彼女の屋敷で生活することになりました。

彼女たちの生活は、次第に落ち着いたものになっていきます。ところが、アメリカ人の女の子・エイミーの伯父が、彼女を引き取るためにアメリカからやって来ました。ミセス・デラハンティは、エイミーは自分たちと一緒に暮らし続ける方が、心穏やかに暮らせると考えます。エイミーの母とその兄である伯父は、伯父の再婚をきっかけに絶縁状態でした。それもあって、ミセス・デラハンティはエイミーを手元に残すことを希望しますが、その希望はかないませんでした。

この作品も、「ツルゲーネフを読む声」と同じく単純に物語が語られるわけではありません。ミセス・デラハンティの過去や小説の中の出来事、彼女が直感的に見抜いたことが物語の中に複雑に織り込まれています。物語はミセス・デラハンティの視点からしか語られないので、彼女が見抜いたと信じたことを事実なのか、それとも彼女の妄想にすぎないのか。それは最後までわかりません。

というわけで、どちらも一筋縄ではいかない作品ですが、不思議と読み始めると引き込まれてしまいました。どちらの物語も、登場人物の1人1人に存在感があるのも魅力的でしたし、人生の苦さと深みが感じられました。
スイスのロビンソン (上) (岩波文庫)アニメ「ふしぎな島のフローネ」の原作、「スイスのロビンソン(上)」を読み終えました。

「ふしぎな島のフローネ」の原作ですが、原作にはフローネは登場せず、ロビンソン一家は男兄弟ばかりです。(^^;
兄弟は、上からフリッツ、エルンスト、ジャック、フランツです。エルンストはアニメだと、お父さんの名前になってるようですね。一番年下のフランツは、アニメには登場しません。一番上のフリッツと名前が似ていて紛らわしいから削られたのかな!?(実際、本を読んでいる時に2人の名前が出てくると一瞬どっちだっけ!?と思いましたし^^;)

オーストラリアに向かって航海していた船が難破して、ロビンソン一家だけが船に取り残されてしまいました。船が座礁した側にある島で、ロビンソン一家は暮らしていくことになりました。普通なら、かなりサバイバルな状況になりますが、この作品ではロビンソン一家にとって都合のいい環境が整っています。

座礁した船にあった大量の日用品や武器、火薬などが利用できた上に、上陸した島にはジャガイモはあるわ、椰子の木はあるわ、ゴムの木、大量の岩塩など、生活に必要になりそうなものがそろっています。船に積まれていた鶏や豚、ロバなどの他に、忠実な犬たち、そして猿や鷲など次々と一家の仲間が増えていきます。

ロビンソン一家は家族で協力して、島での生活を快適に過ごすために働き知恵をしぼります。物語のメインは、その様子が克明に描かれていくことです。この本を読んでいるだけで、南の島での暮らしを垣間見ているような気がして、とても楽しむことができます。(^^)

ただ1つ気になるのは、本文に旧字体が多用されていることです。現在の漢字と似ている字は、すぐに読むことができますが、「昼」が「晝」だったり読んでいて戸惑う字も多かったです。作品の内容的が子供も楽しめるものだけに、旧字体ではなく、現在の漢字を使って再刊して欲しかったところです。

とはいえ、わkらない旧字体を漢和辞典で調べながら読み進めるのも、暗号を解読して宝探しをしているようで楽しかったですが。(^^;
戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)神林長平さんの「戦闘妖精・雪風(改)」を再読しました。

この作品、これで3〜4回は再読しているのですが、その度にいろいろと発見があって引き込まれます。(^^)
最初に作品が発表されたのが、1984年。その後で内容を修正した(改)が出たのが、2002年。それでも10年以上前の作品なのに、全く古さを感じさせないのが凄いです!

今回とくに注目したのが、ジャムとの戦いのための兵器開発を、コンピュータがシミュレーションしながら行っているというところでした。最近テレビなどでも、AIや機械学習のことが話題になりますが、この作品はそれをはるかに先駆けて描いていたんだなあと感激しました。

激しくなるジャムとの戦いの中、次第に戦いに人間は不要であり、パイロットとして人間が搭乗することが、機体が持つ本来の性能を制限される状況が生まれてきます。コンピュータが極限まで進化した時、人間に必要とされる役割は何なのだろうと考えさせられました。
神の時空 前紀 ―女神の功罪― (講談社ノベルス)高田崇史さんの神の時空シリーズ、「神の時空 前紀 -女神の功罪-」を読み終えました。

この本では、先に完結した神の時空シリーズで詳細が語られなかった、潮田教授が主催したバスツアー事故へとつながるエピソードが語られました。物語の中心となるのは、高村皇に仕える磯笛と、潮田教授のもとで助手をしている永田遼子です。

ある日、高村皇に呼び出された磯笛は、とある使命を受けました。それは学会でも異端児として知られる、潮田教授に関するものでした。理由は磯笛には明かされませんでしたが、高村皇は教授のことを疎ましく思っていたのです。

潮田教授は、國學院大學に研究室を持っていました。永田遼子は、そこで働く助手の1人でした。ある日、遼子が研究室に顔を出すと、たいへんな事件が起きていました。彼女が所属する研究室の同僚である、広田が獣に襲われて殺されたというのです。

そんな中、遼子は潮田教授宛に届いた手紙の中に、神功皇后に手を出すなという脅迫状があったことを思い出しました。そして遼子はまだ恋人未満の加藤範夫と共に、神功皇后について調査を開始したのでした。そんな2人に、女子高生の姿をした磯笛が近づきます。

そして第2の事件が起きました。遼子と同じく、潮田教授のところで助手をしていた藤本由起子が、広田と同じように獣にのど笛を食い破られて殺害されたのです。同じ研究室の助手が、立て続けに獣に殺害される確率の低さを考えて、遼子は事件の裏に何かがあると考えるのでした。

神功皇后の調査を進めていた遼子と範夫は、ある日これまでのシリーズにも登場した猫柳珈琲店へとやって来ました。
もともと霊感に優れていた遼子は、そこで頑固な作家の地縛霊・火地と出会うのでした。そして遼子は、火地から神功皇后に関する解釈を聞かされました。それは遼子にとって、容易に受け入れられるものではありませんでしたが、火地の主張を否定するだけの主張も彼女は持っていません。

さらなる調査を進めようとする遼子の前に、再び磯笛が現れました。ここから先は、ネタバレになるので詳しく書きませんが、遼子や範夫に磯笛が接触していたことが、やがてバスツアーでの事故に繋がっていきます。そして、ついに事故が起きることになります。

この本の存在を知った時、てっきりツアーに参加した参加者視点で物語が語られているのかと期待したのですが、そういう方向性の作品ではありませんでした。いつものシリーズと違い、遼子という研究者の視点からの描写が多かったことで、QEDシリーズに近い雰囲気が"途中まで"はありました。
しかし通して読み終えてみると、神の時空シリーズの前日談としても今ひとつでしたし、歴史ミステリーとしても消化不良な気がしました。
自省録 (岩波文庫)昨年末からちょこちょこ読んでいた、マルクス・アウレーリウスの「自省録」を読み終えました。

この本は、ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスが、書きとめた短文をまとめたものです。いちおう、本編は12巻構成になっていますが、書かれた時期もバラバラで、原書も失われているためこれが本来の形かさえ定かではないらしいです。

2000年近く前に書かれ、その当時の皇帝という強大な権力を手にしているにも関わらず、この本を読んでいると現代にも通じる気づきがたくさんありました。特に心ひかれたのは、著者が徹底的に自己を律して、己の欲のためではなく、公益のために尽くそうとしたことです。

そして、自分の意志で何とかならないものは、それをただ受け入れ、自分の意志で何とか出来ることについては、徹底的に理性的に判断して行動しようとする姿勢に共感できるものがありました。

また他人に対する怒りや不満などへの対処が書かれているのを見ると、今も昔も人間の心は大きく異なるわけではないのだと感じました。もちろん、今の時代には合わない記述もありますが、それを差し引いてもさまざまな時代の人間の心に訴えかける内容を持った本だと思います。

この先も、繰り返し読み返していきたい本ですね。(^^)
国境のない生き方: 私をつくった本と旅 (小学館新書)ヤマザキマリさんの「国境のない生き方 私を作った本と旅」を読み終えました。

図書館で借りた本なのですが、読み始めるまで著者が「テルマエ・ロマエ」の作者さんだと気がつきませんでした。(^^;
著者のマンガも1冊も読んだことがないのですが、それとは関係なくこの本の内容は楽しめました。特に面白いのが、第1章〜第5章の著者の幼少期やイタリア留学しての赤貧生活時代でした。

著者の母親もかなり凄い人で、深窓のお嬢様育ちだったのが、著者と妹を出産した後に夫を亡くして、一人で子供たちを育てていました。交響楽団でヴィオラ奏者の仕事をしていたので、時に演奏旅行にも出かけて幼かった著者と妹は他の家に預けられたりしていたそうです。

そんな母親の影響を強く受けて、著者も自分のやりたいことを突き詰める生き方をしていくようになります。凄いなあと思ったのが、わずか14歳で欧州を一人旅していることです。一人で行ってしまう著者も凄いですが、それを送り出せる母親も相当なものだと思いました。

この時の旅行がきっかけとなり、著者は絵を描きたいと思うようになります。そして美術を学ぶならイタリアだと、旅先で出会った老人に言われて、本当に著者はイタリア留学してしまったのでした。この老人の言った、「人生は一度きりだから、無駄にできる時間はこれっぽっちもない」という言葉が著者を突き動かしたのです。

さらに留学前にお母さんは、「フランダースの犬」を例にあげて、絵描きになるということは貧乏で早死にすることになるけれど、それでもいいのかと問い詰めます。そうなることさえ受け入れた上で、著者はイタリア留学の道に踏み出したのでした。

そしてイタリア時代は、超極貧生活を送ることになります。しかし、ここで「ガレリア・ウプパ」のメンバーとの出会いがありました。そのおかげで著者は、今まで読まなかった本を読むようになり、教養を高める貴重な機会を得たのでした。
さらに著者は、そこで息子を出産することにもなりました。

息子は生まれたけれど、著者の生活は厳しい状況が続いています。そこで生きるために、日本の出版社にマンガを描いて投稿したのでした。それが後に著者が漫画家となることへとつながります。

ここまでは本当に面白くて、読んでいて何度も自分には著者のような覚悟がなかったと頭を殴られたような思いをしました。でも第6章から、著者の交流関係やその後の漫画家としての成功が語られるようになったら、ここからは別人が書いたのかと思えたほど面白さが薄れてしまいました。

というわけで、本の後半は今ひとつでしたが、前半で描かれた著者のヒリヒリとした生き方には惹かれるものがありました。この前半を読むためだけにも、この本は読む価値があると思いました。
オープン・シティ (新潮クレスト・ブックス)新年最初に読み終えたのは、新潮クレストの1冊「オープン・シティ」でした。

マンハッタンを歩き回る精神科の研修医ジュリアンの見た光景、思い出した記憶、その時々の思いなどが交錯しながら語られていく作品です。

大きなストーリーがあるわけではなく、現在と過去、マンハッタンからジュリアスの故郷ナイジェリアやお祖母さんを探して訪れたブリュッセルと、時も場所も自由自在に行き来します。

そんな構成の作品なのですが、読み始めたら引き込まれて、最後まで読み通しました。物語の中でジュリアンがあちこち彷徨うように、読者もそれぞれのペースで物語の中を歩き回るような感覚の作品だと思いました。

1つ1つのエピソードを楽しむのもいいですし、複数のエピソードがまとまって1つの形が見えてくるものを楽しむこともできます。そして読み通した時、心の中にいろいろなものが残っていることに驚きました。
会社苦いかしょっぱいか: 社長と社員の日本文化史今年最後の読書は、パオロ・マッツァリーノさんの「会社苦いかしょっぱいか」です。

著者の他の本と同様に、この本でも過去の資料を活用しつつ、日本人と会社について楽しく書かれていました。
最初は会社の起こりからですが、日本人の間に会社という概念が広まるよりも、社長という言葉が先に知られるようになったことが興味深かったです。

そこから始まって、戦前のやりたい放題だった社長の生活、特に女性関係に焦点を当てて紹介されています。これは今読めば笑い話ですが、実際にその当時を生きられていた方たちはたいへんだったんだろうなあと思いました。

そして庶民の方へと話は移ります。東京では、戦前も戦後も住宅事情が悪くてたいへんなようです。特にマイホームを持つのが理想とされた世代では、住宅ローンが原因で家庭崩壊にまで至ったケースもあるそうです。そして朝の通勤地獄が、かなり昔から始まっていたのに、どの時代も対策らしい対策がされていません。それは今も続いていて、本当に何とかならないものかと思います。

さらに話題は、宴会での芸や出張費のちょろまかし、昔からあったサラリーマンの心の病、ビジネスマナー、産業スパイについてなどと幅広く語られています。

というわけで、日本人と会社についての悲喜こもごもを、さまざまな視点から知ることができて楽しい本でした。
QED ~ortus~白山の頻闇 (講談社ノベルス)高田崇史さんのQEDシリーズ、「QED 白山の頻闇」を読み終えました。

今回は、結婚して金沢に住んでいる奈々の妹・沙織のところへ崇と一緒に赴くお話と、奈々と崇が大学時代に初めて出会った時を舞台にした作品の2本立てでした。

「白山の頻闇」は、白山比咩神社に奈々と崇が訪れることになります。奈々の妹の沙織が結婚して、金沢に住んでいることから、この話が決まりました。お話のメインとなっているのは、「日本書紀」に1行だけ姿を現す菊理媛神(くくりひめのかみ)です。黄泉国で伊弉諾尊と伊弉冉尊を仲裁したらしいのですが、その時になんと言って二神を止めたのかはわかっていません。

それと平行して、例によって殺人事件が起こります。(^^;
今回は、奈々の出発前に外嶋や美緒から事件に巻き込まれることを予想されていました。奈々は事件に巻き込まれる体質は、崇のせいだと思っていましたが、崇は奈々がその体質だと思っていることが判明するのも笑えました。

事件の被害者・日影修平は、手取川で首を切り取られた死体として発見されました。その容疑者は、沙織の結婚相手である白岡隆宏の兄・喬雄でしたが、喬雄は修平が殺された河原で昏倒しているところを発見されていたのでした。

いつもの通りですが、殺人事件の解決は無理矢理な感じです。しかし、白山比咩神社と菊理媛神に関する歴史的な謎解きは面白かったです。

もう1作の「江戸の弥生闇」は、吉原の遊女にまつわる悲しく凄惨な歴史が明らかになるお話です。こちらは、物語の舞台が崇と奈々の大学時代(1985年)というところが、意外と面白かったです。友人の晴美に誘われて、奈々はオカルト同好会の部室を訪れます。そこで奈々は、初めて崇と出会ったのです。

初めて崇と出会った時の奈々の印象は、あまり良いものではありませんでした。しかし、同じ薬学部に在籍していながら、歴史的な出来事にも詳しい崇が、奈々は気になります。そして奈々は、崇と共に遊女たちの投げ込み寺として知られる浄閑寺に赴くことになりました。

それと平行して、大物政治家の愛人となった紫(ゆかり)という女性が、自分の運命と吉原の遊女たちの運命を重ねつつ、やがて自殺してしまったという物語が語られます。

そして崇は、浄閑寺の近くのマンションに住んでいた自殺した女性に関わる謎を解き明かすことになります。こちらの方が、吉原の歴史と自殺した女性の運命とのつながりがある感じでした。

というわけで、久々のQEDシリーズでした。シリーズが完結した時は、ちょっと寂しい気がしましたが、その後もこうして番外編が続いているのはうれしいです。・・・というか、QED別に完結しなくてもよかったんじゃない!?という気がしてきたのですが。(^^;
どちらでもいいアゴタ・クリストフさんの「どちらでもいい」を読み終えました。

この本には、アゴタ・クリストフさんの25篇の短編が収録されています。1つ1つの作品は、とても短くて短編というよりショートショートといった感じです。

代表作である「悪童日記」がそうだったように、この本に収録された作品も言葉の1つ1つはシンプルなのに、読み終わった後に深い闇を垣間見たような気がしました。また全ての作品に当てはまるわけではありませんが、幻想的な言葉の響きが詩のようだなあと感じました。

時に断片のように思える文章から、著者が深い闇を抱えていることが伝わってきました。これだけの闇を抱えながら、それをどうしてこういう形で作品に出来るんだろうと驚きました。文章という形で著者の抱える闇を形にしても、その闇は薄まらないどころか、深くなるのではないかと思いました。

読み終えた後、明るく楽しい気持ちになれる本ではありませんが、読者の心に忘れられない何かを残す作品集だと思いました。
傷つきやすくなった世界で (日経プレミアシリーズ 2)石田衣良さんの「傷つきやすくなった世界で」を読み終えました。

この本は石田衣良さんが、2006年1月〜2008年2月に「R25」に発表されたエッセイをまとめた本です。
テレビでもよく見かけ、多方面で活躍されている石田衣良さんですが、なぜかその本は今まで読んだことがありませんでした。そんな時、このエッセイをみつけて、小説よりも取っつきやすそうだったので^^;読んでみました。

掲載された「R25」の対象読者である、新卒で社会人として働き始めた人に向けられた内容が多いですが、その多くはどの年代の方が読んでも共感できるものだと思います。

エッセイが書かれたのは10年ほど前ですが、書かれている内容は格差社会、勝ち組負け組、いじめ問題など、今でもなお根深い問題として継続中なのが、現在の私たちが生きている世界の残念な現状です。

もちろん重い話ばかりではなく、マルチに活躍されている著者ならではの経験や出会いなどについての話題もあり、通して読んでも胃もたれしない構成でした。個人的なお気に入りは、待ち時間の多いハイヤーの運転手さんたちの意外な読書家ぶりが紹介されているエピソードでした。(^^)
芥川竜之介紀行文集 (岩波文庫)ちょこちょこ読んでいたら、読み終わるまでに2ヶ月くらいかかりましたが^^;、「芥川竜之介紀行文集」を読み終えました。

これまで芥川作品は、小説は読んだことはあっても、日記や随筆などは読んだことがありませんでした。本屋で手に取った時、なんとなく面白そうと思って読み始めたのですが、紀行文でありながら著者の人間くささをより感じさせる内容でした。

前半は松江や京都、槍ヶ岳、長崎、軽井沢など国内の旅の様子が語られます。国内編で一番驚いたのは、軍艦金剛に乗った時の記録があったことです。そこに描かれた、石炭をくべる機関兵の凄まじい働きぶり、そして軍艦の砲身にとまった蝶を見た後の著者の思いが、強く心に残りました。

後半は、上海、江南、長江、北京と続く中国への旅が語られました。各所の史跡を巡る情景が描かれるのかと思いきや、実際に現地に赴いてみたら、詩などに歌われているほどの場所ではなかったなど^^;、かなり手厳しい批評が続くことに驚きました。その一方で、現地で出会った人々の描写が、良い面と悪い面の両方から見えてきます。著者は各地の風物より、とことん人間に興味があったんだなあと感じました。

最後にこの本の良いところでもあり、悪いところでもあるのが、本全体の1/4ほどもある詳細な注と地図が巻末についていることです。本文中に注があると気になる性分なので、行きつ戻りつしていたのも読み終えるまでに時間がかかった原因です。(^^;
機龍警察 狼眼殺手 (ハヤカワ・ミステリワールド)月村了衛さんの機龍警察シリーズ第5弾、「機龍警察 狼眼殺手」を読み終えました。

このところ「機龍警察」シリーズの続編が出なくて、どうなってるのかなと思ったら新刊が発売されていました。
2年前に短編を集めた番外編的な1冊が発売されましたが、本編の方は3年前の「未亡旅団」以来でした。そして内容は、今回も期待を裏切らない満足できるものでした!(^^)

今回は特捜部が、捜査一課や捜査二課と合同で捜査を進める異例の展開から始まりました。その発端となったのは、日中合同で進められている「クイアコン」プロジェクトの関係者が、次々と殺害されていたことです。捜査一課は殺人事件の犯人を追って、捜査二課はその背後にいる黒幕を捕まえるために、特捜部はすべての黒幕だと疑われる<敵>に迫るために、協力体制をとることになりました。

そして一連の殺害事件が、ある1つの意図に基づいて遂行されたことが明らかになります。殺害された者の元には、いずれもカトリックの聖人が印刷されたカードが届けられていたのです。その事実が判明してからも、引き続き犯行は続きます。事件の背後には、警察の動きすらつかむことができる黒幕と、凄腕の暗殺者がいるらしいことがわかってきます。

また警察とは別に、特捜部との因縁も深い和義幇も、この事件の首謀者を追いかけていました。そして和義幇の關が招き寄せた、凄腕の暗殺集団・虎鯨公司の殺し屋たちも暗躍しています。

今回は狼眼殺手と呼ばれる暗殺者の正体が不明だったり、ターゲットにカードを送りつけることから、これまでよりもミステリー色の強さを感じました。そして徐々に真相が見えてくる中、特捜部のライザ・ラードナーと技術班の主任・鈴石緑にスポットが当たっていく展開も面白かったです。

それから、捜査中に見えてくる警察の隠蔽体質や、政財界の闇にも驚かされました。また今回は、特捜部の主要兵器である龍機兵の持つ意味が見えてきたのも興味深かったです。

今回の事件はひとまず落着しましたが、特捜部が<敵>を目指して進めば進むほど、闇の深さ、敵の狡猾さ、巨大さが見えてくる感じです。権力機構の中枢に巣くっているような敵に、特捜部がどう立ち向かうのか、この先も楽しみです!(^^)
モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)尾原和啓さんの「モチベーション革命」を読み終えました。最近体調が悪くて、読書がはかどらなかったので^^;、久しぶりに本を読み終えた感じです。

この本では、50,60代の世代と若い人たちの間では、仕事に対する価値観に大きな差があることを指摘しています。
年配の方達は、物がない時代を経験しているので、自分の周りに物がたくさんあったり、高級なものを持つことに価値を見いだします。しかし、若い人たちは物が十分足りている中で育ってきたので、物自身よりも自分にとっての価値を大切にしていると指摘しています。

それを踏まえて、これからの時代はロボットのように働く人ではなく、自分の好きを仕事に出来る人の時代だと著者は主張します。その背景としてロボットやAIの発達によって、これまで人間でなければできなかった仕事の領域が、ロボットやAIに置き換えられるようになっていることをあげています。

そんな時代にチャンスがあるのは、今までのようにがむしゃらに働くことに価値を見いだしてきた世代ではなく、自分の好きなことなら打ち込める世代だと書かれています。その上で、好きなことを仕事にするための方法として、異なる個性が集まったチームを作ることや、ネット上で可視化されて始めた信頼の重要性などについて解説されています。

この本を読んでいて、これが当たり前の世界になったらいいなあと思いました。私自身が社会人になってから、休日出勤や残業を美徳のように考える風潮や、本当は出たくないのに付き合いで参加する飲み会に辟易した経験があるからです。(^^;
陋巷に在り8―冥の巻―(新潮文庫)酒見賢一さんの「陋巷に在り」第8巻を読み終えました。

子蓉(しよう)の蠱術から、妤(よ)を救おうとした医鶃(いげい)でしたが、子蓉の予想外の手強さに医鶃も自分の全てを賭けて戦う必要があることを悟りました。そして医鶃は、顔回の力と自らの信奉する神である祝融(しゅくゆう)の力を借りて、妤を救う決意をしました。その方法は、薬酒の力を使って一時的に顔回を仮死状態にして冥界に送り込んで、妤を救わせるというものでした。

こうして顔回は、生きた身でありながら九泉と呼ばれる冥界へと踏み込みました。そこは顔回の想像を絶した世界で、祝融の助けがなければ顔回といえどもなすすべがありません。そして九泉をくだった顔回は、ついに妤と子蓉とを見つけました。しかし、顔回は2人を連れ帰るつもりなのに、子蓉は連れて帰ることができるのは1人だけだと言います。

そして顔回と子蓉との、言葉での戦いが始まりました。子蓉の言葉に、そして子蓉が力を借りた神・女魃(じょばつ)の力で現れた偽の孔子に、顔回は翻弄されることになりました。顔回はその孔子が偽物だということまではわかるのですが、それ以上の行動に出ることができません。

そんな状況を打破したのは、顔回が意識を飛ばしてしまったことでした。九泉の力を受け入れた顔回は、偽孔子も驚く力を発揮して、その正体が女魃だということが明らかになりました。女魃は顔回に剣を向けますが、それから顔回を救ったのはそれまで成り行きを見守っていた祝融でした。

かくして戦いは、祝融と女魃という神同士の戦いに発展しそうになりました。しかし、祝融の本気を女魃が知ったことで、その戦いはなんとか回避することができました。しかしまだ、顔回が妤と子蓉を連れ戻せたわけではありません。顔回は本当に、2人を連れ帰ることができるのでしょうか。

けっこう苦労した8巻ですが、ようやく読み終えました。(^^;
前半の医鶃と子蓉の戦いは、かなりテンポ良く読み進められたのですが、顔回が九泉に向かったところから物語の進行が異常に遅くなって、読み進めるのにかなり気力が必要でした。このペースだと、次巻でも九泉から帰ってこられないんじゃないかと心配になります。(^^;
みんなの道徳解体新書 (ちくまプリマー新書)パオロ・マッツァリーノさんの「みんなの道徳解体新書」を読み終えました。

この本では、日本の道徳教育についてばっさりと切っています。著者の他の本でもそうですが、単なる思い込みや特殊な例が、全て同じだと考えてしまう危険性を指摘されています。

本の中では、道徳の教科書に採用された数々のお話がコンパクトに要約されて紹介されています。その事例をみていくと、ある特定の考え方や価値観を押しつけようとするのが「道徳」の授業だとはっきりしてきます。

どの章も面白いですが、特に印象的なのは、なぜ大人は「人を殺してはいけないのか」という質問に答えられないのかを説明した章が、一番面白く考えさせられました。

「人を殺してはいけない」と言う一方で、死刑制度が存在する矛盾。ここを読んだ時、人は意識的にしろ無意識にしろ、自分にとって都合の悪い人間には生きていて欲しくない=死んでもらいたいと考えてしまうものなんだと思いました。

この本を読んだおかげで、私自身が道徳の授業が大嫌いだったことを思い出しました。(^^;
子供の時には、その理由がうまく説明できませんでしたが、この本を読んで授業の裏に隠された偽善を感じ取っていたのだと気づきました。

また今でも忘れられない、道徳の授業の嫌な思い出があります。授業の中で、先生が自分の周りでみかけた悪いことを挙げなさいと言い出しました。私は特に悪いことを見かけた覚えがなかったので、「何もありません」と答えました。すると先生は、そんなはずはない何かあるはずだと怒り出しました。結局、適当に嘘をついて"悪いこと"をでっち上げることになりました。

今の私が、その時その場所にいたら、「周りに悪い人がいなくてよかったね」と言ってあげたいです。
真幻魔大戦〈1〉ビッグ・プロローグ (徳間文庫)平井和正さんの「真幻魔大戦」第1巻を読み終えました。

このところ同じ著者の「ボヘミアンガラス・ストリート」や「地球樹の女神」を再読してみたのですが、どうも今ひとつしっくりこなかったので、過去に一読だけした「真幻魔大戦」を読み返してみることにしました。

この「真幻魔大戦」は、角川文庫版「幻魔大戦」とは別次元の世界での出来事という設定です。角川版は1967年が舞台でしたが、こちらでは1979年が物語の舞台となり、物語の冒頭で登場するのはルナ姫ではなく、その妹であるリア姫になっています。

リア姫は故郷であるトランシルヴァニアから、アメリカへと向かうクェーサーの専用機にいました。彼女の姉であるルナ姫は、フロイと邂逅することもなく、アル中になって数年前に亡くなっていました。リア姫は、彼女の超常能力に興味を持ったクェーサーの帝王カトーに買われて、アメリカへと向かっていたのです。

順調な飛行が続く中、リア姫の体にルナ姫が憑依しました。そのルナ姫は、リアが知っているルナではありませんでした。彼女の知っているルナとは別のルナが、リアの体を借りて現れたのです。そしてリアは、別次元で起こったルナとフロイとの出会い。サイボーグ戦士ベガとの出会いを知ることになるのでした。

そしてリアは、この専用機を襲う危機を告げました。クェーサーにリアの世話役として派遣された謎の美女ムーンライトは、それを機長へと伝えます。そのおかげで専用機は惨劇を免れて、無事に目的地へと到着したのでした。

クェーサーの帝王カトーは、世界各地から優秀な超常能力者を集めていました。その中に、強力な催眠術を駆使するドクター・タイガーマンがいました。彼はその力を利用して、カトーに取り入ろうとしていました。しかし、彼にとって目障りな存在がムーンライトでした。ゲスな心の持ち主であるタイガーマンは、この事件を利用してムーンライトを失脚させようとしていたのでした。

リア姫の乗っていた専用機の機長は、突然の進路転換の理由をカトーに問いただされていました。しかしカトーに反感を持つ機長は、真実のすべてをカトーには伝えていませんでした。そこでカトーは、タイガーマンの力を利用して、その時に何が起きたのかを詳細に知ろうとしたのです。

すでにクェーサーを退職する決意を固めていた機長でしたが、タイガーマンの強力な催眠を受けて、自分の意思に反してカトーに知られたくないと考えたことまで話してしまいました。その一部始終を、霊体となって屋敷の中をさまよっていたリア姫が目撃しました。しかし、その場に同席したテレパシスト、ジョージ・ドナーによって、彼女がそこにいることが明らかにされてしまいました。それを知ったカトーは、のぞき見している者を何としても知ろうとするのでした。

過去に一読しただけなので、詳細は完全に忘れていました。(^^;
かって読んだ時は新書版でしたが、今回は文庫版を読みました。そのせいか、第1巻の内容としては、ここで終わり!?という少し不満の残るものでした。ルナ姫と比べると、リア姫は精神的に未熟で頼りない感じです。それを補うかのように登場したムーンライトは、神秘的な魅力が感じられますね。
陋巷に在り7―医の巻―(新潮文庫)酒見賢一さんの「陋巷に在り」第7巻を読み終えました。

この巻では、妤(よ)にかけられた蠱術を破るために、南方の呪術に詳しい医鶃(いげい)が子蓉(しよう)と対決することになります。

苦心の末に費城を破壊は終わりましたが、孔子の目的はまだ達成されていません。孟孫氏に仕える公斂處父(こうれんしょほ)が、残された成城に陣取り、城の破壊をやめさせようとしていたのです。とはいえ、無理に力押しすれば、先の費城にこもって戦った公山不狃(こうざんふちゅう)との戦いの二の舞になってしまいます。

しかし、孔子はこの問題は何とかなると考えていました。この頃、魯の国は日照りに悩まされていました。そこで大がかりな雨乞いの儀式が行われる予定になっていました。その儀式には、公斂處父も参加しなければなりません。そのためには都まで出向く必要があるからです。仮に公斂處父が儀式を欠席すれば、それを理由に処断する口実ができます。

そんな孔子のところに、思わぬお客がやって来ました。なんと魯の都の騒ぎの原因である子蓉が、孔子の元を訪れたのです。子蓉は、顔儒の里に出向くのに、孔子の仲介が欲しいと言います。本来、別の土地から儒者がやって来た時は、その土地の儒者を表敬訪問することが礼儀だったようです。しかし、子蓉や少正卯(しょうせいぼう)たちは、顔儒の元を訪れていませんでした。(それを口実に顔儒の里を訪れた少正卯は、重傷を負うことになりましたが)

その頃、顔儒の里には南方から医術の達人である医鶃がやって来ていました。医鶃は、その眼力で実際に患者を目にする前から、その病を見抜くほどの力を持っていました。医鶃は本来は、妤のために招いたわけではなく、蠱を植え付けられた冉伯牛(ぜんはくぎゅう)を救うためでした。それが結果的に、妤のためにもなったのです。

医鶃はその力をもって、妤を操る子蓉の術と戦います。子蓉の力は、医鶃を驚かせるほどのものでした。結果的に、なんとか子蓉の仕掛けた罠を切り抜けることができましたが、一歩間違えれば死人が出ているところでした。
2人の最後の戦いは、蠱術が最高の力を得るといわれる満月の夜に行われます。強かな医の練達者である医鶃すらも時に出し抜いてみせた子蓉を退散させて、妤を救うことができるのでしょうか!?

今回は、医がお話の中心だったこともあり、全体的に重い雰囲気でした。この本を読んでいるだけで、こちらも子蓉の蠱術にからめとられているような気がしました。(^^;

しかし医鶃すらも驚嘆させる、子蓉の力は凄まじいですね。物語の主人公である顔回や孔子よりも、自由奔放にパワーをふるう子蓉が、この作品で一番魅力のあるキャラではないかと思いました。
失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫)2巻を読み終えてから、5年ほどが経過してしまいましたが^^;、ようやく「失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげに I」を読み終えました。

2巻から時が経過して、主人公はパリで暮らしています。パリには、スワンとスワン夫人となったオデット、そしてその娘のジルベルトも暮らしています。"私"は、何とかジルベルトと親しくなり、スワン家に出入りできるようになりたいと思います。しかし、それはなかなかうまくいきません。

そんな物語と平行して、"私"が見たお芝居や文学、パリの社交界の様子などが描かれていきます。そして念願かなって、ついに"私"は、ジルベルトのおやつの時間に招かれることができました。"私"はジルベルトに惹かれながら、もう1つの興味の対象であったスワン家の様子を詳しく知ることになります。またスワン家を訪れたことによって、"私"は心酔していた作家のベルゴットとも知り合うことができました。

"私"とジルベルトの関係は、悪いものではありませんでした。ところが、ジルベルトの不機嫌に、"私"も不機嫌で応じてしまったことから、2人は仲違いしてしまうのでした。"私"は本心では、ジルベルトのことが好きでたまらないのに、あえて彼女から距離を置きます。

それが原因で、2人の関係はますます疎遠になってしまうのでした。しかし、ジルベルトの母であるオデットと"私"の関係は続いているという、ちょっと不思議な状態が生まれます。

そしてある日、"私"はジルベルトが別の男の子と連れだって歩いているのを目撃してしまうのでした。それが引き金になって、"私"の初恋はあっけなく終わりを迎えます。

基本的な物語としてはシンプルですが、"私"の心の動きや見たものからの連想が広がっていくのが凄いです。
とはいえ、それが物語の読みづらさにもつながっていて^^;、"私"の思考が連続しているため、あまり改行もなく、ほぼ区切れることなく物語が続いていきます。1冊を一気に読めればいいのですが、普通は読者はどこかで一区切り入れたくなります。しかし作品自体に区切りが設定されていないので、それがとても難しかったです。

結局、この5年の間に何度か手にとって読み始めたものの、途中で挫折するを繰り返していました。今回ようやく読み切ることができたのは、自分で内容的に区切りがついたと思ったら、そこでいったん読むのを停止することにしたからでした。

しかし、それだけの苦労をしても、読み終えることができてよかったと思いました。1800年代終わりのパリの社交界の描写も興味深かったですし、芸術に対する著者の博識さや考え方に驚かされました。
覇者の戦塵1943 ダンピール海峡航空戦 下 (C★NOVELS)谷甲州さんの覇者の戦塵シリーズ第13作、「覇者の戦塵 ダンピール海峡航空戦(下)」を読み終えました。

転章では、久しぶりに日下部が登場しました。彼は独自に、戦争を終わらせるために道を探っています。しかし、それには現政権の首相である東條内閣を新たな内閣へと交代させる必要があります。和平への道を進むためには、想像以上の困難を克服しなければならないようです。

その頃、ブナに進出した陣内少佐は、ブナから近いオロ湾に米軍が上陸したらしいことを知りました。少数の部下と共に偵察に向かった陣内少佐は、そこで米豪軍が原住民を協力を得て、積極的な作戦を進めようとしていることを知りました。倒した敵の士官が持っていた写真から、ブナへの攻撃が予想以上に早く行われることを知ったのです。

それに対抗する兵力を確保するために、陣内少佐はラバウルへと飛びました。そこで海兵隊の戦力も合わせて、多数の戦力をブナへと送り届けようとします。しかし、予想に反して陣内少佐の計画は、なぜか順調に進みます。その理由は、なんと陣内少佐らの派遣しようとする輸送艦を囮にして、敵に逆襲しようとする作戦が進められていたからでした。

秋津中佐と会って、それを知った陣内少佐でしたが、現実的に兵力を前線に送り届けるには、この作戦を利用するしかありません。陣内少佐が腹をくくった間に、さらに戦況は変化しました。なんと陣内少佐の留守の間に、ブナの飛行場が海上の重巡から艦砲射撃を受けていたのです。これがきっかけとなり、作戦の内容が変更されました。

陣内少佐らが輸送艦で移送を開始するのは同じですが、当初とは違い大規模な艦隊が編成されて輸送艦の護衛にあたることになったのです。その一方で、ブナに進出している部隊との連携も図られて、ポートモレスビーから輸送艦を狙って出撃する攻撃機を邀撃する作戦も実行されることになりました。

この戦いは、予想外の日本軍の勝利となりました。ブナの航空部隊や輸送船団の護衛部隊が、敵の攻撃部隊に大きな打撃を与えたのです。とはいえ、日本軍も無傷とはいきません。積極的に泊地攻撃を仕掛けた日本艦隊が、別の敵艦隊に待ち伏せされて大きな被害を出したのです。

しかし、これまで一方的に押されていたニューギニア戦線の日本軍は、今回の作戦の成功で、これからの戦いの橋頭堡を築くことに成功しました。とはいえ、陸海軍間の連携のまずさや、個々の技倆に頼るのではなく総合力で戦う方法の確立など、これからの課題も数多くあります。そして最大の課題は、どうやって戦争を終結させるかです。
それが実現するまでには、まだ多くの時間を必要としそうですね。